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【くずし字書簡に「眼光紙背」を念じて、牛歩対話の日々】

 ことし5月に長兄の本家でなにげに発見の古文書。ひとつは江戸期1803年時点の東広島市河内町入野の地域史とも関わる内容だったので、広島県立文書館に訪問し解析をお願いして、無事に公的な解析結果が判明した。江戸後期の地域社会 […]

【陶磁器とともに時間が積層している「有田」の街】

 有田焼とは、佐賀県有田町とその周辺地域で製造される磁器を指す。 17世紀初頭、朝鮮人陶工である初代金ヶ江三兵衛(通称:李参平)によって磁器の原料となる陶石が発見され、日本で初めて磁器が焼かれた。以来400年間、この地は […]

【TOTO第5代社長の「窯場を抱く」有田の生家】

 有田の伝統的街並みのなかに佇む公開されている住宅「小路庵」〜しゅうじあん〜(江副孫右衛門旧家)を探訪した。<現在は喫茶店として営業>この建物はTOTO第5代社長にして公選初代町長だった江副孫右衛門(1885~1964) […]

【陶芸の極地・有田で「トンバイ塀」に目が釘付け・・・】

 佐賀県の探訪記、いよいよ日本有数の「陶芸産業の地」有田に没入。  そう、気分的には「沈殿」してしまう街並み。歴史を経た日本的産業基盤としての「陶芸」のひとつの極地のように思えていた。以前、愛知空港の近くの常滑を街歩きし […]

【わが家系を「甲子夜話」で紹介・松浦静山の平戸城訪問】

 さて九州全周の旅、佐賀県という自分にとって「未踏の地」を歩きながら、ずっと気になっていた場所があった。  それは、平戸(ひらど)のこと。  わが家系は江戸後期、広島県福山市の西、尾道に隣接する今津で「商家・あが屋」を営 […]

【軟弱地盤対応型「木組み」と維新期・佐賀の英傑たち】

 きのうに続き、佐賀城の「構造」についての現地説明の補足。  いわゆる「在来工法」といえば、室内空気と構造材からの「除湿」を最優先するその通風重視の思想に対して、北海道においては積雪寒冷条件に適合させるため「高断熱高気密 […]

【天保9(1838)年再建時の復元建築・佐賀城の構造】

 幕末から明治の動乱期に大きな影響力を与えた肥前佐賀藩。36万石余という外様藩のなかで8番目の石高という雄藩であり、藩主・鍋島直正は幕末屈指の名君として知られる。長崎からの海外情報にいち早く接することで経済を活性化させ、 […]

【薩長土肥の維新主導/佐賀藩の実力】

 北海道は明治維新によって欧米列強に学び、同時にその脅威と対峙することになった日本社会にとって、「北門の鎖鑰(さやく)」とされ、ロシア南下政策の脅威への最前線地域とされた歴史があります。  その明治維新は、いわゆる「薩長 […]

【唐津から佐賀市へは山道の一般国道一択、むむむ】

 さて、唐津という魅力的な街に別れを告げ、県庁所在都市・佐賀市のお城見物へ向かった。 書いてきた通り、九州全県を回るのが今回のツアーの初心であり、その中でも佐賀県というのは大分県と並んで、全国でなぜかこれまで一度も来たこ […]

【玄界灘・日本海/江戸期までの日本史の主舞台】

 九州佐賀県・唐津探訪篇であります。  北海道の人間として長く生きてきたのですが、一線を離れたこともあって近年は四国や近畿、中国地方などを巡り歩くことが「数寄」になってきています。とくに島根県や鳥取県、さらには「海の京町 […]