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【108年前、大正初期の南紀・田辺市の街区と現在】

 南方熊楠さんの自邸探訪その2であります。こちらの敷地はおおむね400坪ほどで、江戸期に紀州藩の「支藩」であった安藤氏の城下町というのが街区の由来。旧邸で質問にお答えしていただいた女性からの伝聞では、南方家というのは、こ […]

【1916(大正5)年頃の南方熊楠の家・台所空間】

 昨日は久しぶりのわが家帰還で、体力涵養を第一に過ごしておりましたが、都合5日間で札幌ー東京ー新幹線移動ー大阪ー南紀白浜ー奈良ー播州兵庫ー神戸ー大阪・堺ー関空から帰還、という長距離移動での疲労なので、すぐには全快はいたし […]

【司馬遼太郎さんとの「縁」 in 姫路英賀】

 きのうのブログテーマ「霊柩車遭遇」ですが、わたし自身は「いい方」解釈派だったのですが、昨夕関西から帰還したのですが、なぜか搭乗機が「機体トラブル」で後発便よりも新千歳空港到着が遅れて、約2時間の遅延の事態に。こういうト […]

【竪穴住居の木組みと外皮構造〜ところ遺跡-5】

 今回取り上げている北海道東北部オホーツク沿岸の北見市常呂町の遺跡群についての研究は「東京大学大学院人文社会系研究科附属 北海文化研究常呂実習施設」として現地で半世紀以上調査研究を継続し歴年の成果を上げてきている。北海道 […]

【木製床仕上げ・1000年前北海道住宅〜ところ遺跡-4】

 きのうのブログで触れた「アイヌ期」住宅では、もうひとつ重要な擦文期までとの違いとして、縄文・続縄文・擦文と約3,000年間「竪穴」住宅で北海道の先人たちは暮らしていたのに、アイヌ期には「平地住宅」に移行していることが挙 […]

【1000年前北海道「カマドと囲炉裏」〜ところ遺跡-3】

昨日に引き続き、擦文期(約1000年前当時の北海道島での時代区分)の竪穴住居。きのうは主に竪穴住居の土壌面の掘り下げ土木工事作業と、その「温熱的」人類知に沿ってまとめてみた。成員30名程度のムラ社会にとっての価値感を考え […]

【竪穴住居・基礎外周のつくり〜ところ遺跡-2】

 北海道北見市常呂町に残る「ところ遺跡」には約4,000年前頃からの竪穴住居痕跡が残っている。最後の「擦文文化期」が約1,000年前ということで延べ3,000年間の先人の痕跡。  住の側面からみると、一貫して「竪穴住居」 […]

【北海道の遺跡「古民家」再見〜ところ遺跡】

 さて、全国各地の住宅探訪をライフワークのように続けてきて、一方でそういった取材の「整理整頓」が生来の怠け者のせいでまったく進んでおりません(泣)。せっかく高断熱高気密などの現代的住宅進化のただ中で住宅取材を続けて来られ […]

【明治でも女性たちは太陽だった 富岡製糸場-6】

 きのう見たように、幕末明治初頭の日本に対して、欧米の市場経済が期待したものは養蚕業による絹製品群だった。近代国家として独立を確保しさらに欧米列強と伍して行くためには、当然ながら「国力」の涵養が第一に必要。国内戦争を経て […]

【幕末明治期日本の貿易産品 富岡製糸場-5】

 日本史の激動期、幕末明治初期の「経済構造」というのはあんまり歴史教育で触れられていないように思う。歴史としては政治・軍事的な側面に集中していて、その下部構造、どうしてそのような「革命」が起こるのかについての経済的側面を […]