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【大量の陶磁器は武家の生活スタイルの発露か?】

 きのうは伊予松山の道後温泉にほど近い「湯築城」からの発掘出土品の陶磁器に触れた。瀬戸内海経済圏の四国側での中心地域とも言われる伊予の国。歴史年代でもその地域首長「伊予守」の地位は律令体制でも非常に重要視された地域。遠く […]

【「瀬戸内」経済の痕跡 伊予松山と兵庫姫路・英賀】

 さて、ちょっと取材系の話題がしばらく途絶えていて「夏休み」状態だったのですが、住宅と人間、その歴史というのがわたしの主要な経験知フィールドになっていることに鑑み、そういうテーマ領域で探索を根気よくやっていきたいと思って […]

【魏志倭人伝「伊都国」と福岡市糸島】

 やっぱり九州は遠い。いろいろな知識を得ると言うこと自体は現代では容易に可能だけれど、実際に来て見てはじめて「気付く」ことには敵わない。  今回の九州旅は、ほぼわたしは「ボーッと」しているわけですが、そういうなかでもふと […]

【梅雨最盛期 「濡れて福岡」探訪】

写真は福岡県福津の「宮地嶽神社」本殿であります。福津市の宮地嶽神社は日本最大級の大注連縄で知られ、正月三が日には例年およそ150万人が参拝に訪れる。大注連縄は長さ11メートル、太さは2メートルを超え、重さは3トン。  わ […]

【狩猟採集・焼き畑、落人の生存戦略 日向・平家村-3】

 九州中部の熊本県と宮崎県の中間の山岳地帯。日本三大秘境と言われる椎葉地区に逃げ延びた平家一族。  きのうはそうした絶体絶命の状況で安寿と厨子王の安寿姫のように自己犠牲でこの一統を救った清盛の孫娘のことを想像してみた。わ […]

【清盛の孫娘と那須与一弟の伝説 日向・平家落人家-2】

 わたしとしては能登の時国家住宅以来の「平家落人」の住宅。まぁほかにも四国の古民家でそういう伝承だけはある家も見たのですが、本格的な集落ごと、その伝承を色濃く持っているものは2件目。 上の写真はこの移築住宅の説明パネルよ […]

【1869年赴任・翌年解任「北海道開拓判官」島義勇】

 判官っていう官名からは多くの人は義経のことを想起すると思うけれど、北海道人の場合、もうひとり開拓判官・島義勇のことも想起する。  北海道神宮本殿入り口の正面向かって左手には、かれの銅造、「開拓三神を背負った」姿がある。 […]

【明治維新6年、度肝を抜く「洋造」開拓使本庁舎】

 北海道草創期の古写真再発掘シリーズ。  現在の北海道庁赤煉瓦庁舎は、札幌の観光コースの定番と言える存在。実際上の実務部門がそこにあるワケではなくその後ろ側のコンクリート建築に機能は移転しているので、いわばランドマークと […]

【150年ほど前わが家近くを開墾した屯田兵屋】

 わたしの札幌の高校時代の友人たちには「屯田兵の子孫」という存在もいる。いまの札幌市西区役所のあたりには屯田兵の指揮所のような建築があったとも言われている。また、隣接して「琴似神社」があって、屯田兵のなかの宮城県出身者が […]

【ほんの120年ほど前、北海道入植時点の残影】

 どうもこういう北海道初期の写真には、心が反応してしまって、とらわれてしまう。  わたしの家系は祖父の代の時、大正の初年ころ広島県の福山市周辺地域から一家を挙げて北海道に移住してきた。その事実を物語ってくれる写真などは存 […]