わたしの年代は日本の戦後社会が起動していく1960年代が青春期。最初の東京五輪に向かって社会が大きく変貌していく時代だったけれど、それは同時に「モータリゼーション」が一般化して行く過程でもあった。わが家は食品製造業で札 […]
Posted on 4月 21st, 2024 by 三木 奎吾
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わたしの年代は日本の戦後社会が起動していく1960年代が青春期。最初の東京五輪に向かって社会が大きく変貌していく時代だったけれど、それは同時に「モータリゼーション」が一般化して行く過程でもあった。わが家は食品製造業で札 […]
Posted on 4月 21st, 2024 by 三木 奎吾
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この家は江戸期に「日本書紀」を徹底探究した本居宣長の家系が暮らしていた家。三重県松阪市の城郭公園のなかに移築保存されている。以前は街中に建てられていたのだが、明治末期に大火が松阪を襲い、そのとき先祖の本居宣長さんが日本 […]
Posted on 4月 13th, 2024 by 三木 奎吾
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加齢してくるとだんだん仏教などの世界に近づきたくなる(笑)。いま「家整」しているカミさんの実家には仏壇があるので、仏道の初歩の初歩くらいは修行している般若心経を諳んじているわが身としては(笑)、行く度にお詣りいたしてい […]
Posted on 4月 11th, 2024 by 三木 奎吾
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古事記という書物は、日本人と日本文化にとって基盤的な文献であるけれど、原文は漢文によって書かれているので、そのまま読むということは一般人には困難。 〜天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。次高御産巣日神。次神産 […]
Posted on 4月 6th, 2024 by 三木 奎吾
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さて1日、友人の葬儀の話題になりましたが、本日から中世の伊予松山城塞の話題に復帰。 この湯築城は豊臣政権成立期に中央権力によって「地域権力」としては終焉した。家系としては同族とみなせる播州英賀の「三木氏」も同時期に織 […]
Posted on 3月 30th, 2024 by 三木 奎吾
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きのうの続編であります。伊予という地域は古来から日本の支配構造の中でも重要な地域とされてきた。律令制の地域区分でも、たとえば源平合戦期には源氏勢力の分断を狙った朝廷側は、最大の軍事功労者・義経に恩賞地として伊予を与えて […]
Posted on 3月 28th, 2024 by 三木 奎吾
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本日は正月の夫婦旅・松山歴史篇。わたしの家系伝承では、兵庫県姫路市の「英賀城」に存在した武家・三木家というのに縁を遡れるとされてきています。歴史上の話なのでそこからもさまざまな有為転変、家系の交錯が見られるのですが、播 […]
Posted on 3月 27th, 2024 by 三木 奎吾
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加齢してきて、自分自身をテーマにして少しは「いのち」というものと向き合うような気分に納得感が生まれ出てくるようになってきた気がします。「おいおい、今更かよ(笑)」と笑われそうですが、いろいろなこの世でのことに区切りを付 […]
Posted on 3月 23rd, 2024 by 三木 奎吾
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7回にわたって約1000年前ころの札幌の遺跡について探索をして見ましたが、やはり同時並行的に日本史上の遺跡も考えて見たい、ということで広島県東部・福山市の港湾遺跡「草戸千軒」再訪であります。 擦文の遺跡は約1000年前と […]
Posted on 12月 13th, 2023 by 三木 奎吾
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いまから1000年前後を遡る北海道島、それもわが家周辺4−5kmほどの近隣で営まれていた暮らしの遺跡を見て来ました。歴史大好き人間で本州以南地域を旅するときはいつも、積層している時間、その複層性が訴えてくる「こだま」のよ […]
Posted on 12月 12th, 2023 by 三木 奎吾
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