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【白村江敗戦と「屋嶋城」築城 四国・屋島-2】



昨日のブログで「四国めぐり」とシリーズ名をお知らせしましたが、
とりあえず屋島にこだわるので、「四国・屋島」と改訂します。よろしく。
上の写真は、特殊な形状を見せる屋島の尾根平面南西側区画からやや下った位置の
旧「屋嶋城」(やしまのき、と呼称)の復元石垣面であります。
日本書紀には663年8月白村江での日本・百済連合軍の海戦での敗戦のあと、
唐と新羅連合軍による日本侵攻に備えて防衛ラインを造営した記述がある。
日本書紀の天智天皇6(西暦667)年11月の条に
「倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡・屋嶋城(さぬきのくに
やまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築く」
(※倭國→現在の奈良県、對馬國→現在の長崎県対馬市)との記載。
中大兄皇子(後の天智天皇)はこの白村江の戦いを指揮したが敗戦する。
そこで母親の先帝・斉明天皇が661年8月まさに戦争直前に崩御したけれど、
即位を668年2月まで延期せざるを得なかった。
それだけ日本防衛が白眉の課題であった状況を活写している歴史事実。
白村江出兵時、額田王が伊予の国の熟田津港で軍船団にアジとして詠んだ歌として
「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」
というものがあるように、この世界大戦「白村江」は日本の運命を変えた。
屋嶋城はこうした時代の沸騰点をいまに伝えるものだけれど、
つい最近、平成10年に城壁の一部が発見されるまで長く眠りに就いていた。
現場に向かってみたけれど、台丘状の屋島の尾根を歩きまわってようやく
やや下っていく箇所でカミさんは降下を断念(笑)、わたし一人で下ってみた。
そこを通りかかった地元の方から親切に情報を教えていただいた。
歴史で665年前後といえば1357年前くらいのことで日本書紀という公式文書にも
記載があることなのに、このように埋もれてしまうものかと思わされた。
復元に当たっても文献資料などは乏しいので、
後世の手法なども勘案して復元に当たっているようです。

歴史のよすがとして、この屋嶋城は「朝鮮式山城」と呼称されている。
その後の日本史の展開などから推定していくと
やはりこの敗戦で百済から移入の人々が、こうした築城技術も持っていた。
その指導で全国に同様の城が築かれたというのが実際だっただろう。
この白村江敗戦以降、日本史は大きく展開していく。
天智の弟、天武が壬申の乱の勝者として即位して以降、
倭国から「日本」を国号として定めて唐の王朝にも信任させる。
内政面、外交面でも日本の大転換期だったことは間違いないけれど、
なんといってもこの屋嶋のように発掘復元もようやく始まったばかり。
建築としても朝鮮式山城という技術の実質はなんなのか、いまのところ不明。
歴史知識も常に掘り起こしが欠かせませんね。

English version⬇

[Baekgang defeat and “Yashima Castle” construction Shikoku / Yashima-2]
In yesterday’s blog, I announced the series name “Shikoku Tour”,
For the time being, I am particular about Yajima, so I will revise it as “Shikoku / Yajima”. nice to meet you.
The photo above is a little below the southwestern section of the ridge plane of Yajima, which shows a special shape.
It is a restored stone wall surface of the old “Yashima Castle” (called Yamanoki).
In the Japanese Shoki, after the defeat in the naval battle of the Japanese-Baekje Allied Forces in Baekgang in August 663,
There is a description that a defense line was built in preparation for the invasion of Japan by the Tang and Silla coalition forces.
In the article of Emperor Tenji 6 (667 AD) of the Japanese Shoki
“Yamato no Kuni Takayasu Castle, Sanuki Kuni Yamada District, Yashima Castle (Sanuki no Kuni)
Yamada no Koori Yamanoki), Tsushima Kuni Kaneda Castle (Tsushima no Kuni Kanata no Ki) will be built. ”
(* Wakoku → present Nara prefecture, Tsushima country → present Tsushima city, Nagasaki prefecture).
The middle-aged brother and prince (later Emperor Tenji) commanded this battle of Baekgang, but lost the battle.
There, his mother’s late emperor, Empress Kogyoku, died in August 661, just before the war.
He had to postpone his coronation until February 668.
A historical fact that captures the situation in which Japan’s defense was an issue for the white eye.
As a song that Princess Nukata wrote as a horse mackerel speech to the army fleet of Iyo Province even when sending troops to Baekgang
“If you sailor on Nikitatsu, if you wait for a month, the tide will be shining. Now you can’t row.”
As the truth is, this World War “Baekgang” changed the fate of Japan.
Yashima Castle conveys the boiling point of these times, but
Most recently, he slept for a long time until a part of the wall was discovered in 1998.
I went to the site, but finally I walked around the ridge of the hill-shaped Yajima.
At the point where he went down a little, Kami gave up the descent (laughs) and tried to go down alone.
The local people who passed there kindly gave me information.
About 665 years in history is about 1357 years ago, and it is also in the official document called Nihon Shoki.
Even though there was a description, it seemed that it would be buried like this.
Even if it is restored, there are few documents, so
It seems that the restoration is being carried out in consideration of the methods of posterity.

As a matter of history, this Yashima castle is called “Korean style mountain castle”.
Estimating from the subsequent development of Japanese history
After all, the people who imported from Baekje in this defeat also had this kind of castle construction technique.
The fact was that similar castles were built all over the country under the guidance.
After the defeat of Baekgang, Japanese history has expanded significantly.
Since Tenmu’s younger brother, Tenmu, took the throne as the winner of the Yang Water Monkey
“Japan” is set as the national name from Wakoku and is trusted by the Tang dynasty.
There is no doubt that it was a major turning point in Japan in terms of both domestic affairs and diplomacy, but
After all, excavation and restoration has just begun like this Yajima.
It is unclear at this point what the substance of the Korean-style mountain castle technology is in terms of architecture.
It is essential to always dig up historical knowledge.

【ゾッコンうっとり「屋島」 四国・屋島-1】



ほんの2週間前にはお正月があったことが遠い記憶のような状況。
世界的にはイギリスなどでピークアウトが言われるようになってきていますが、
身近では本州地域の工務店ビルダーのみなさんの北海道見学ツアーも中止。
また東京から来訪の予定だったビジネスのお客様も一昨日急遽中止に。
やはり行動抑制が復活してきて感染症の影響、見通しが効きにくい状況。

こういうときにはやはり過去の写真などで歴史深掘り型探訪。
写真はご存知、源平合戦で名高い「屋島」であります。
高松という街・地域はこれまで通過・スルー一方で滞在経験がなかった。
今回夫婦旅でカミさんが予定を組んでくれて初探訪。
ホテルの部屋からはこのように高松港フェリーターミナルの先に
まことに美感豊かな屋島の景観が見晴らせる。
クルマで移動していたので前日夕方に高松に入ったときにも
「あれ、なんか面白いカタチの山があるよなぁ・・・」
「なんていう山なのかなぁ?」
と面白がっていたら、日本史で超名高い屋島だということがわかってきた。
おいおい、そんなことも知らずに行ったのか、というところ(笑)。
屋島といえば源平合戦で有名で下の絵図は有名な那須与一の扇図。
カミさんの旅程では屋島周辺での行脚が組まれていたので、
その案内説明看板の写真撮影であります。
平家物語での文章記述の記憶だけしかなかったので、
屋島という地名だけがアタマにあって、その情景については
「きっと瀬戸内海に面していたのだろう」くらいしか思いが至らなかった。
想像力の乏しさ、探究心の少なさに自ら驚かされる。
歴史好きなのに屋島の実像を知らないままに死んでしまうところだった(笑)。

それにしてもこの屋島、形状がなんとも素晴らしい。
わたしどもは札幌育ちなので藻岩山・円山・三角山・手稲と豊かな山々に
抱かれた環境で過ごしてきていますが、
どうもまとめて一本取られた思いがしております。
こういう造形感覚はまさに神のみがなし得る。
歴史年代でこの島・山が名を残してきた根拠が雄弁に迫ってくる。
今回旅程に入れてくれたのは「屋島城」という中大兄皇子時期の
古代城跡が最近発掘され、その姿があきらかになってきた、という情報から。
てっきり源平争乱期だけの地名と思っていたのが大転換なのですが、
それも現地へ来ればさもありなん、と実感が迫ってくる。
ということで、先日から少彦名神社などに触れてきていますが
四国行脚シリーズをブログ記事で展開したいと思います。よろしく。

English version⬇

[Zokkon Enchanted “Yashima” Shikoku-1]
It’s a distant memory that the New Year was just two weeks ago.
Globally, peak outs are being said in the United Kingdom and other countries,
Closer to home, the Hokkaido tour for construction shop builders in the Honshu area has also been cancelled.
Also, those who were planning to visit from Tokyo were suddenly canceled the day before yesterday.
After all it seems that behavioral restraint is revived in each company,
The situation where the effects of infectious diseases are difficult to predict.

In such a case, you can still dig deep into history with photos from the past.
As you know, the photo is “Yashima”, which is famous for the Genpei War.
Until now, I have never stayed in the city / region of Takamatsu, while passing through and passing through.
This time, Kami made a schedule for the couple’s trip and visited for the first time.
From the hotel room, like this, ahead of the Takamatsu Port ferry terminal
You can see the beautiful scenery of Yajima.
I was traveling by car, so even when I entered Takamatsu the evening before
“Oh, there’s a mountain with an interesting shape …”
“What kind of mountain is it?”
When I was amused, I realized that it was a very famous Yajima in Japanese history.
Hey, did you go without knowing that (laughs)?
Speaking of Yajima, it is famous for the Genpei War, and the picture below is the famous fan figure of Nasu no Yoichi.
Kami’s itinerary included a pilgrimage around Yajima, so
It is a photograph of the guide explanation signboard.
I only remembered the text description in The Tale of the Heike, so
Only the place name Yajima is in Atama, and about the scene
I could only think of “I’m sure it was facing the Seto Inland Sea.”
I am amazed by the lack of imagination and the lack of inquisitiveness.
Although I like history, I was about to die without knowing the real image of Yajima (laughs).

Even so, this Yajima has a wonderful shape.
We grew up in Sapporo, so we have abundant mountains such as Mt. Moiwa, Mt. Maruyama, Mt. Sankaku, and Teine.
I’ve been living in an embraced environment,
I feel that one of them was taken together.
This kind of modeling sensation can only be achieved by God.
The grounds that this island / mountain has left its name in the historical age are approaching eloquence.
It was during the time of the middle and big brother, “Yashima Castle,” that he included in the itinerary.
From the information that the ruins of an ancient castle have recently been excavated and its appearance has become clear.
I thought it was a place name only during the Genpei War, but it was a big change.
If you come to the site, you will feel that it is possible.
So, I’ve been touching Sukunahikona Shrine since the other day.
I would like to develop the Shikoku pilgrimage series in a blog article. nice to meet you.

【わが社外部照明破損事故 その後の続報】



きのう書いた記事の反応がいいようです(笑)。
トラブルの事例というのは学びにもなるので読まれる機会が増える。
わたしとしては多種多様な住宅の設備機器、とくに照明器具などは
人の目に触れたり日常の接触機会がハンパなく多いけれど、
資本主義的高効率志向からの問題点、メンテナンス性とか
持続可能性はどうなのだろうかと常々危惧を感じていることでもあり
顛末を見定めていくことで、世論を喚起するのが思いです。
なので、わたしの責任で情報を公開してみた次第。
さっそく住宅研究者のTさんからもアナウンスがありました。
参考意見とさせていただきます。

さて、昨日大手電機ショップから午後2時過ぎに電話をいただきました。
「昨日のお問い合わせの件、中間に存在する仕入メーカーを通して
取り寄せることは可能。しかし入手可能なのは3カ月半後です。」
というお知らせであります。
「う〜む」と絶句がため息となって漏れ出てしまった。
わたしとしては前日にメーカーに直接問い合わせした経緯もあるので
イマイチ納得感が沸いてこない。
「経緯は了解しましたが、きのう受け取ったメールには再度問い合わせの場合の
電話番号も明記されていたので、先方に自分で確認してみます。
その上で発注は検討します。追って連絡します」と伝えました。
外部照明一個の破損状況が最低3カ月半は放置されることになる。
で、件の製造メーカーさんに電話を掛けてみました。
ご丁寧に不在だった「カスタマーサービス」担当の方から連絡をいただいた。
その方がわたしにメール返信していただいたようです。
「申し訳ありません、冬場の破損事故、とくに正月前に大掃除で
手を掛けられる方が増える時期になるので在庫が底をつく時期。
生産計画上、再生産できるのには3ヶ月お時間をいただくことになります。」
というお答え。大手家電ショップからの回答を裏付けるものでした。
わたしのひとつの懸念、WEB時代なのに流通の問題で時間が掛かるのか
という懸念は杞憂だったといえる。
しかし、基本的に住宅の機能性に手づくり対応した時代から
規格大量生産に日本の製造業、ものづくりは大転換した結果、
効率最優先になって、きめ細かなメンテナンス対応が困難になっている。
そういった実態が象徴的に見えてくる事実だと思います。
大量生産志向による生産体制整備の中ではスクラップアンドビルドが正解。
また、企業間競争でどんな小さな部品でも特殊生産にこだわることになる。
部材規格化・汎用化の方向では企業競争を勝ち抜くことはできなかった。
各社とも市場囲い込み型のオリジナルにこだわり
汎用品よりも特殊品に向かうことで、結果として「使い捨て」型社会になった。
しかし持続可能性を高めることは汎用性を志向することになるのではないか。
家づくりの現場でこういう現代人の心理変化に気づき始めた作り手も出てきている。

さてわが社の玄関前の照明は3カ月半の間、無惨で正直な姿をさらすことになる。
わたしの結論としては、この再生産過程を支持し、
忍耐しつつ、持続可能性の方向を支援していきたいと思う次第。
わが社への来訪者の方からこの件で声かけしていただいたら、
モノの延命輪廻プロセスを支援したいと話させていただこうと考えています。
製造業を成熟させていくには、知恵と忍耐が必要ではないか。

English version⬇

[Follow-up report after the accident of damage to the external lighting of our company]
The reaction of the article I wrote yesterday seems to be good (laughs).
Cases of trouble are also learning, so there are more opportunities to read them.
For me, a wide variety of housing equipment, especially lighting equipment,
There are many opportunities for people to see and come into contact with each other, but
Problems from capitalist high efficiency orientation, maintainability, etc.
I’m always worried about sustainability.
I think that public opinion will be aroused by determining the details.
So, it’s my responsibility to release the information.
There was an announcement from Mr. T, a housing researcher.
I will use it as a reference opinion.

By the way, I got a call from a major electric shop yesterday after 2:00 pm.
“Yesterday’s inquiry, through a purchasing manufacturer in the middle
It is possible to order. But it will be available after three and a half months. ”
It is a notice that.
“Umm” sighed and leaked out.
I also contacted the manufacturer directly the day before, so
I don’t feel convinced.
“I understand the process, but if I contact you again in the email I received yesterday,
The phone number was also specified, so I will check with the other party myself.
After that, we will consider ordering. I will contact you shortly. ”
The damage to one external light will be left unattended for at least three and a half months.
So, I called the manufacturer.
The person in charge of “customer service” who was absent politely contacted me.
That person seems to have sent me an email.
“Sorry, a winter damage accident, especially a big cleaning before the New Year.
It’s time for more people to work on it, so it’s time for inventory to run out.
Due to the production plan, it will take 3 months to reproduce. ”
The answer. It supported the response from a major consumer electronics store.
One of my concerns, is it time consuming due to distribution issues in the WEB era?
It can be said that the concern was melancholy.
However, basically from the era when the functionality of the house was handmade.
As a result of a major shift in Japanese manufacturing and manufacturing to standard mass production
Efficiency has become a top priority, making it difficult to provide detailed maintenance.
I think it is a fact that such a situation can be seen symbolically.
Scrap and build is the correct answer in the mass production-oriented production system development.
Also, due to competition between companies, we will stick to special production of any small parts.
In the direction of standardization and generalization of materials, it was not possible to win the corporate competition.
Each company is particular about market-enclosed originals
By moving toward special products rather than general-purpose products, the result is a “disposable” society.
However, increasing sustainability may lead to versatility.
Some builders have begun to notice such psychological changes in modern people at the site of home building.

By the way, the lighting in front of the entrance of our company will be exposed to a miserable and honest appearance for three and a half months.
My conclusion is to support this reproduction process and
I want to be patient and support the direction of sustainability.
If a visitor to our company talks to us about this matter,
I would like to talk about wanting to support the life-prolonging reincarnation process of things.
Isn’t it necessary to have wisdom and patience to mature the manufacturing industry?

【超多忙に大雪。そこに外部照明破損の追い打ち(泣)】



故あっていろいろな作業進行が重なっていて多忙であります。
そういう状況の中に折からの大雪到来であります。
札幌市内はどこへ移動するのにも通常の2−3倍の時間を覚悟する必要がある。
わが社はテレワークなどを積極的に活用しているとはいえ、
やはり移動交通の困難性は業務にも響いてきます。

わたし個人としては雪かきなどの環境メンテナンスは
その効率性が検証不可能なこと、また即応性が要求されること、
さらに非予測性な事象であることなどから
社長が対応するのが一番合理的という判断から行っております。
おおむね前向きに対応してきているのですが、
さすがの大雪で建物前面の小屋根の雪下ろしを数回行っていたのですが、
そこに隣接する外部照明も上部に堆雪し、
湿気の多い雪でそこに低温が重なると雪氷化するので
プラ製の除雪具で除雪作業中、上に積層した雪氷を除去しようとして
あやまってカバーしているガラスグローブと呼ばれる部分を
破損破壊してしまったのです。
これまでの作業では雪氷化はほとんど見られなかったのですが
ことしの大雪は気温が高く湿気が多い、新潟のような雪質のようです。
照明としては通常は玄関ドアの大きな開口ガラス面がメインなので
通常業務には影響がないのですが、一応、外面もあり復旧させたい。
で、建築会社に連絡したのですが、案の上の「資材不足、遅延」状況。
とにかくあらゆるものの価格高騰、資材不足が深刻です。
そういうなかでとりあえず、丸ごと取り替える必要もないので
ガラスグローブの交換手配が可能か建築会社の都合も考え自分でWEB検索。

こういう商品番号を発見してそれを頼りにメーカーと連絡を取った。
そうしたら数時間後、メール返信が来て在庫もあるということ。
ただしメーカーなので直販することは商習慣上できないので、
「お近くの電気店などにお問い合わせください」という返答。
その背景を考えればムリからぬ申し出と理解したので大雪渋滞の中、
近くの大型電気専門店さんへ行って参りました。

だいたい想像は出来たのですが、
こういった細かいメンテナンスに近い注文というのは難しい。
ショップ側でも正直、メンドイ作業だろうなとは思っていました。
メーカーとショップの関係性もあるのでしょう。
このケースでは「間に問屋があって、そこを通しての連絡」ということで、
・取り寄せることが可能かどうか、
・その場合の料金がいくらになるか、
のどちらについても返答は1日掛かる、ということになりました。
外部照明1コなのでメーカーWEBページでもその値段はユーザーも知りうる。
そのまた「部品」ですから配送費やその流通過程のほうがはるかに高コスト。
なので、ほかの注文取引と便乗するカタチで対応させるのが自然。
さてどういう次第になるのかなぁと興味を持っています。
イマドキの社会と暮らしの1断面が見えてくるのかもと思っています。
さてわが社の外部照明の運命やいかに(笑)。

English version⬇

[Heavy snow in a very busy situation. There is a catch-up (crying) of damage to the external lighting]
Because of that, I am busy with various work progresses.
In such a situation, heavy snowfall has arrived.
It is necessary to be prepared for 2-3 times as long as usual to move anywhere in Sapporo city.
Although our company is actively utilizing telework etc.,
After all, the difficulty of mobile transportation also affects business.

For me personally, environmental maintenance such as snow shoveling
Its efficiency cannot be verified, and responsiveness is required.
Furthermore, because it is an unpredictable event, etc.
We judge that it is the most rational for the president to respond.
I’ve been responding positively, but
Due to heavy snowfall, I had to remove the snow from the small roof in front of the building several times.
The external lighting adjacent to it also has snow on the top,
If the temperature is high and the temperature is high, it will turn into snow and ice.
While removing snow with a plastic snow remover, trying to remove the snow and ice that has accumulated on top
The part called the glass glove that accidentally covers
It was damaged and destroyed.
I have hardly seen snow and ice in the work so far.
This heavy snowfall is like Niigata, where the temperature is high and the humidity is high.
The main lighting is usually the large opening glass surface of the entrance door.
It doesn’t affect normal business, but I want to restore it because of the external aspect.
So, I contacted the construction company, but the situation of “material shortage, delay” on the plan.
Anyway, the price of everything is soaring and the shortage of materials is serious.
In such a situation, there is no need to replace the whole thing for the time being.
Is it possible to arrange replacement of glass gloves? Considering the convenience of the construction company, search the WEB by yourself.

I found such a product number and contacted the manufacturer by relying on it.
Then, a few hours later, I received an email reply and it was in stock.
However, since it is a manufacturer, it is not possible to sell it directly because of business customs.
The reply “Please contact your local electronics store”.
Considering the background, I understood that it was an unreasonable offer, so in heavy snow traffic,
I went to a large electric specialty store nearby.

I could have imagined it, but
It is difficult to place an order that is close to such detailed maintenance.
To be honest, I thought it would be a mendoi work on the shop side as well.
There may be a relationship between the manufacturer and the shop.
In this case, “there is a wholesaler in between, and we contact you through that”.
・ Whether it is possible to order
・ How much will the charge be in that case?
It was decided that it would take a day to reply to both of them.
Since there is only one external lighting, users can know the price on the manufacturer’s WEB page.
Also, because it is a “part”, the delivery cost and the distribution process are much higher.
Therefore, it is natural to deal with other order transactions in a way that piggybacks on them.
Well, I’m interested in what it will be like.
I think that one aspect of Imadoki’s society and life can be seen.
By the way, the fate of our company’s external lighting and how (laughs).

【疲労回復にはジャンクフード 神戸「ぼっかけ焼きそば」】



人間、疲れきると無性にジャンクフードを食べたくなる。
ってわたしだけだろうか(笑)。
先日神戸の空港への帰途、途中で神戸市内中心部の港が見える商業施設で
ぶっ倒れていたら、なにげに目の前に写真のようなショップ。
弱り目に祟り目、ではないけれど無条件反射的に反応してしまった。

「ぼっかけ焼きそば?」
・・・これは「ぶっかけ」の間違いではないのかというのが最初の疑問。
しかし看板に大書しているのだからそうではないだろう。
ぼっかけって、なにか追い立てられるような気もする。
で、わたしの日本語推理能力では一種の方言かと思い至る。
「ぼっかけ」という関西弁は、しかしまったく耳にしたことがない。
関西にはたぶん数十回は来ているけれど記憶がない。
というような疑問に釣られて釣り上げられた(笑)。
「あのさ、ぼっかけってなにさ?」
「あんかけ焼きそばはオレ、好きなんだけれどその一種?」
という問いかけに「あはは、ちゃいまっせ、う〜ん、」
「これがああしてどうしてどうした・・・」という説明。
メンドイ! じゃぁ食って確かめようじゃないか。
って、ようするに気を引かされたので誘い込まれたワケですね。
しょがない、これも運命。注文へとぼっかけられた感。
ということで出てきたのが2枚目の写真料理であります。
やや太めの焼きそば麺にふつうのソース仕上げ。
なんかコンニャクの刻んだヤツも入っています。
で、お母さんから「その上にいろいろなものをトッピングする」
という指示が飛んでくる。
ドバッと紅ショウガ、長ネギの刻み、そして粉状のカツオ節を
これでもかこれでもかと掛けまくる。
まぁそれほど味がケンカするとは思われない食材が合コンする次第。
で、席に戻って神戸の地元ジャンクフードに正対してみる。
わたしははじめて食べたので基本の基本料理でしたが、
他の方の注文を見ているとトッピングでいろいろな食材が盛られていた。
よくあるのは卵オムレツみたいなヤツのようでした。

食べてみると、味はスタンダードな焼きそばであります。
食べ進めると多少、喉が渇く感じがするので水分補給が必要。
頭がカラッポのときにはこういうジャンクがなぜか心を静めてくれる。
なんていうのか、その土地の馴染み感が伝わってくる気がするのですね。
そういう癒やしをカラダが求めてくるのではないかと。
しかしトッピングはちょっとやり過ぎだったかなと反省しておりました。
う〜む。

English version⬇

[Junk food Kobe “Bokkake Yakisoba” for recovery from fatigue]
When humans are exhausted, they want to eat junk food.
Is it just me (laughs)?
On the way back to the airport in Kobe the other day, at a commercial facility where you can see the port in the center of Kobe city
If you’re down, you’ll find a shop like the one in the photo in front of you.
It wasn’t a weak eye, but it reacted unconditionally and reflexively.

“Bokkake Yakisoba?”
The first question is whether this is a “bukkake” mistake.
However, it is not so because it is written on the signboard.
I feel like I’m going to get rid of something.
So, I think it’s a kind of dialect in my Japanese reasoning ability.
The Kansai dialect called “Bokkake”, however, has never been heard.
I’ve probably been to Kansai dozens of times, but I don’t remember.
I was caught in such a question (laughs).
“That’s what the sujikon is?”
“I like Ankake Yakisoba, but is it a kind of it?”
In response to the question, “Aha, chaimase, hmm.”
The explanation “Why did this happen …”.
Mendoi! Let’s eat and check it.
That’s why I was invited because I was attracted to it.
There is no such thing, this is also fate. The feeling of being rushed to order.
That’s why the second photo dish came out.
Slightly thick yakisoba noodles with a normal sauce finish.
There is also a konnyaku chopped one.
Then, from my mother, “Topping various things on it”
Instructions fly.
Dobat and pickled ginger, chopped green onions, and powdered dried bonito flakes
Even this or this hangs around.
Well, as soon as the ingredients that do not seem to have a fighting taste are combined.
So, let’s go back to our seat and face the local junk food in Kobe.
I ate it for the first time, so it was a basic basic dish,
Looking at other people’s orders, various ingredients were served with toppings.
It was like an egg omelet.

When I try it, the taste is standard yakisoba.
As I continue to eat, I feel a little thirsty, so I need to rehydrate.
When my head is Karappo, this kind of junk calms my mind for some reason.
I feel like you can feel the familiarity of the area.
I think the body will ask for such healing.
However, I regret that the topping was a little overkill.
Hmmm.

【民藝と民俗の方程式 列島民俗文化探訪】



しばらく「民藝」についてブログで考えていましたが、
運動としての民藝は透明性・普遍性を持った思想や観念に昇華できず、
結局は創始者たちの嗜好性選別に留まってしまったように思います。
だから150年を超える北海道の開拓民の生み出したものを
民藝としては無視するしかなかったように思う。
北海道民の民藝不在違和感に対してアイヌ民族を対置するのでは、違和感が強い。
どうもそんな思いが強まって、むしろ民俗をもっと感じさせてくれるものを
各地の探訪で求めていたように思います。

写真はきのうまで触れていた少彦名神社と同じ南予の大洲神社。
北海道では「えびす講」というのはあまり根付いていないように思いますが
こちらの神さまは大国主命と事代主命(えびす様)。
このえびす様は言うまでもなく商売繁盛・福徳来家の神さまであり、
愛媛県で唯一の「十日えびす祭」が行われることで知られている。
たまたま遭遇したのでさっそくに神札を購入させていただいた(笑)。
いかにも現世利益という民のホンネに即しているので
愛媛県内全県から多くの参拝者が来訪するのだとされていました。
こういった「民俗性」というものに強く惹かれる。
素朴な民の願望に対してごく自然に対応したえびす様のお姿は
どこでも大体「えびす顔」をされていて、そのご尊顔だけでもありがたい。
民藝運動では素朴な各地域の民具に対して、優れた芸術者たちが
その感受性でもって「評価」を与える、という側面が強調される。
その評価軸自体はいいと思うけれど、やや気取りが強い。
いかにも柳宗悦氏というイデオローグの選別感覚に依存する。
普遍性という部分では限界が露呈せざるを得ない。
一方で現世利益を幅広く説くえびす様は圧倒的な「肯定力」がある。
どのような民人に対してもこぼれるばかりのえびす顔で接してくれる。
日本人としての心性の基底ではこうした「肯定力」が大きいのではないか。
そもそもアジア世界の多様な地域からこの列島社会に参入してきた多くの民がいた。
そういった人々が縄文由来の人々と混血していったとき、
ベースになったのはやはりこうした「肯定力」だったと思う。
出雲の国づくり神話世界から神代の時代での神武神話で成立していった
この国の王権の根幹部分でもこうした「肯定力」が働いていたのではないか。
だから強権的支配構造はこの列島社会ではあまり根付かなかったように思う。

北海道では民俗としての「えびす」様はあまり広がりがない。
多分民俗として「ニシン御殿」のようなものがそれに相応するように思う。
まことに生々しい現世利益の象徴痕跡のようだけれど、
あの存在に対して入口付近に「鳥居」でも建てれば、特異だけれど
北海道らしい民俗はすでに形成されていて、その精神性は残っている
というようにも思える。民藝と民俗の方程式、興味深いです。

English version⬇

[Folk art and folk equations Archipelago folk culture exploration]
I’ve been thinking about “Mingei” on my blog for a while,
Mingei as a movement cannot be sublimated into ideas and ideas with transparency and universality.
In the end, I think I was limited to selecting the tastes of the founders.
That’s why the products of the pioneers of Hokkaido for over 150 years
I think that Mingei had no choice but to ignore it.
It is very uncomfortable to confront the Ainu people against the uncomfortable feeling of the absence of Mingei from the people of Hokkaido.
It seems that such feelings are strengthened, and rather something that makes us feel more folk.
I think I was looking for it when I visited each place.

The photo is Ozu Shrine in Nanyo, which is the same as Sukunahikona Shrine that I touched on until yesterday.
I don’t think “Ebisu-ko” has taken root in Hokkaido.
This god is Okuninushi and Kotoshironushi (Ebisu-sama).
Needless to say, this Ebisu-sama is the god of prosperous business and the Fukutoku visitor.
It is known that the only “Toka Ebisu Festival” in Ehime Prefecture is held.
I happened to encounter it, so I immediately bought a god card (laughs).
Because it really matches the real interests of the people of this world
It was said that many worshipers came from all prefectures in Ehime prefecture.
I am strongly attracted to this kind of “folklore”.
The appearance of Ebisu who responded naturally to the wishes of the simple people
I’m almost everywhere with an “Ebisu face”, and I’m grateful for that precious face alone.
In the Mingei movement, excellent artists are used for the simple folk implements of each region.
The aspect of giving “evaluation” by its sensitivity is emphasized.
I think the evaluation axis itself is good, but it’s a little pretentious.
It really depends on the selection sense of the ideologue called Mr. Soetsu Yanagi.
There is no choice but to expose the limits in the part of universality.
On the other hand, Ebisu, who preaches the interests of this world widely, has overwhelming “affirmation”.
He treats any civilian with a spilling face.
I think this kind of “affirmation” is great at the basis of the Japanese spirit.
In the first place, there were many people who entered this archipelago society from various regions of the Asian world.
When those people were mixed with people from the Jomon period,
I think it was this kind of “affirmation” that became the basis.
Izumo no Kunizukuri Myth It was established from the world to the Shinbu myth in the age of the Gods.
Perhaps this kind of “affirmation” was working at the core of the kingship of this country.
Therefore, I think that the powerful rule structure did not take root in this archipelago society.

In Hokkaido, “Ebisu” as a folk is not so widespread.
Perhaps as a folklore, something like “Nishin Goten” seems to correspond to it.
It seems to be a symbolic trace of the vivid worldly interests,
It would be peculiar if you built a “Torii” near the entrance to that existence.
Hokkaido-like folklore has already been formed, and its spirituality remains.
It seems like that. The folk and folk equations are interesting.

【出雲系統と自然崇拝型「建築」概念 少彦名神社-4】



この少彦名神社とは偶然の出会いであり予備知識はなにもなく遭遇した。
で、後追いでいろいろ情報を探っています。
全国に15社、この社名の神社があるけれどほとんどが「無社格」であり、
神社本庁が認定する枠外の存在のようです。
出雲大社の本殿には現代の皇室は立ち入りできないとされるそうですが、
古代の出雲系統との「国譲り」経緯がこの少彦名神社にも関わりがありそう。
以下がその地域分類を含めた分布実態。
東北地方・青森県弘前市・青森県むつ市・秋田県大仙市・秋田県由利本荘市
中部地方・新潟県長岡市・富山県富山市・射水市・石川県珠洲市・福井県越前市
・愛知県名古屋市中区・岐阜県関市・静岡県静岡市葵区
近畿地方・大阪府大阪市中央区
中国・四国地方・岡山県津山市・愛媛県大洲市
東北日本海側北部と出雲地方は方言的な同一性が言われるし、
その交通ルートに当たる日本海側に多くが存在する。
大阪は「1780年、薬種仲買仲間の団体組織・伊勢講が薬業の繁栄を願うため、
京都の五條天神社より少彦名命の分霊を大阪道修町にあった仲間会所に勧請し、
すでに仲間会所にあった神農炎帝とともに祀ったことを起源とする」との記述。
古来からのものとは違う特定業種商売起源縁起と思われます。
名古屋や静岡については縁起が不明だけれど、
こうした大都市型・太平洋側は4社であり大多数は出雲系統と見なしうる。
伊勢神宮を中心とするヤマト朝廷側の神々とは別系統ということか。

一方、上の写真右側では「山体」そのものが少彦名命の墓神域という説明。
自然地形そのものをまるで「建築」のように見なして
神聖空間として「結界」しているように感じられる。
自然の岩や山、岬などに自然崇拝型の原初的空間信仰があったのだと思う。
出雲の人々にはそういう日本人古層の意識が強かったといえるか。
少彦名命が死んだとき「常世に向かわれた」と表現することも
いかにもこの列島古層の人間意識を感じさせてくれる。
そして梁瀬山頂上に向かって点在するスポットは個性的な空間結界をつくる。
山間らしく、阿吽像にはイノシシが表現されるなどしている。
そういった全体・山体そのものを「建築」と感じさせる。
やはり日本列島の古層の人間意識には自然崇拝基層が存在し、
建築といいう概念は単に構築物だけを指すものではないことがみえる。
建築としても、現代の再築に際し棟梁が転落死するほど、
高所へのこだわりを持った参籠殿がシンボルとされて
図示した案内パンフレット表紙にもその写真が表現されている。
この参籠殿は1934年建築とされるが、マザーになる伝承があったに違いない。
こうした高層建築は投入堂とか清水寺などが代表的だけれど
この参籠殿などは出雲大社神殿とも共通する志向性ではないか。
どうも「出雲系」の人々の気質痕跡を留めているようにも思えるのです。

そしてなぜ北海道開拓の神格として大国主命と少彦名命という
伊勢神宮系とは別の出雲系統の神々が明治初年当時、勅選されたのか。
なかなかに興味深い神社発見でした。

English version⬇

[Izumo system and nature worship type “architecture” concept Sukunahikona Shrine-4]
It was a coincidence with this Sukunahikona Shrine, and I encountered it without any prior knowledge.
So, I’m searching for various information afterwards.
There are 15 shrines nationwide with this company name, but most of them are “uncompanyed”.
It seems that there is an existence outside the frame certified by the Association of Shinto Shrines.
It is said that the modern imperial family cannot enter the main shrine of Izumo Taisha.
The history of “Kuniyuzuri” with the ancient Izumo system seems to have something to do with this Sukunahikona Shrine.
The following is the actual distribution including the regional classification.
Tohoku region, Hirosaki city, Aomori prefecture, Mutsu city, Aomori prefecture, Daisen city, Akita prefecture, Yurihonjo city, Akita prefecture
Chubu region, Nagaoka city, Niigata prefecture, Toyama city, Toyama prefecture, Imizu city, Toyama prefecture, Suzu city, Ishikawa prefecture, Echizen city, Fukui prefecture
・ Naka Ward, Nagoya City, Aichi Prefecture ・ Seki City, Gifu Prefecture ・ Aoi Ward, Shizuoka City, Shizuoka Prefecture
Kinki region, Chuo Ward, Osaka City, Osaka Prefecture
Chugoku / Shikoku region / Tsuyama city, Okayama prefecture / Ozu city, Ehime prefecture
The northern part of the Tohoku Sea of ​​Japan and the Izumo region are said to have dialectal identity.
There are many on the Sea of ​​Japan side, which corresponds to the transportation route.
In Osaka, “In 1780, Ise-Kou, a group of drug brokers, wishes for the prosperity of the drug industry.
From Gojoten Shrine in Kyoto, we solicited the spirit of Sukunahikona Shrine to a fellow meeting place in Doshomachi, Osaka.
It originates from the fact that it was enshrined with the Shennong Flame Emperor who was already at the fellow meeting place. ”
It seems to be an auspicious origin of business in a specific industry, which is different from the one from ancient times.
I don’t know about Nagoya and Shizuoka, but
There are four companies on the Pacific side of such a metropolitan area, and the majority can be regarded as the Izumo system.
Is it a different system from the gods on the Yamato court side centering on Ise Jingu?

On the other hand, on the right side of the photo above, the explanation is that the “mountain body” itself is the tomb shrine of Sukunahikona.
Think of the natural terrain itself as “architecture”
It feels like a “barrier” as a sacred space.
I think there was a nature worship-type primitive spatial belief in natural rocks, mountains, and capes.
It can be said that the people of Izumo had a strong awareness of such old Japanese people.
When Sukuna bi kona died, he could describe it as “going to the everlasting world.”
It really makes me feel the human consciousness of this archipelago.
And the spots scattered toward the top of Mt. Ryose create a unique spatial barrier.
Like a mountain, the statue of Aun expresses a wild boar.
The whole and the mountain body itself feels like “architecture”.
After all, there is a natural worship base layer in the human consciousness of the ancient layers of the Japanese archipelago,
It seems that the concept of architecture does not simply refer to structures.
As for the architecture, the ridges fell to death during the modern reconstruction.
The symbol of Sankoden, which has a commitment to high places
The photograph is also expressed on the cover of the illustrated guide pamphlet.
This Sankoden is said to have been built in 1934, but there must have been a tradition of becoming a mother.
Typical high-rise buildings are the input hall and Kiyomizu-dera.
Isn’t this Sankoden, etc. the same orientation as the Izumo Taisha Shrine?
It seems that they are keeping the traces of the temperament of the “Izumo” people.

And why are Okuninushi and Sukuna bi kona as the deities of Hokkaido development?
Did the gods of the Izumo system, which are different from the Ise Jingu system, be elected in the first year of the Meiji era?
It was a very interesting discovery of a shrine.

【国土建設と民族の心の依り代 少彦名神社-3】



きのうはこの神社の神代の時代について想像を巡らせてみましたが
歴史年代での神社の記録とはWikipediaでは以下のようになっています。
・1441年:(嘉吉1年)宇都宮次郎太郎、少彦名神社へ扁額『少比古廟』奉納
・1583年:(天正11年)正岡宮内大輔、少彦名神社を再興
・1934年:参籠殿建築される。
・2013年:ワールド・モニュメント財団によって2014年版
「危機に瀕している世界のモニュメントリスト」に登録された。
・2014年6月:本格修復始まる。
・2014年6月:棟梁の男性が転落死し、修復中断。
・2014年8月:再発防止策を講じ、修復再開。
・2015年3月:参籠殿本体の修復工事を終え竣工式を行う。
・2016年5月:参籠殿一棟(附 棟札及び板図)が市指定有形文化財に指定。
・2016年9月:参籠殿修復でユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞最優秀賞受賞。
写真は参籠殿の足下をクローズアップしたものと拝殿の様子。
たまたま訪問したときにはたくさんの氏子さんたちが参集されていて
わたしたち夫婦も氏子の遠方代表みたいに見られていました(笑)が、
氏子総代のような方からいろいろご説明をいただいた。
さすがに敬神の篤いみなさんと深く納得させられました。
北海道神宮に少彦名命が祀られていることはご存じない方が多かった。
日本全国の神社に祀られるので北海道を特別に見られてはいないのでしょう。
ユネスコから顕彰されたことで地域プライドが上がったと思える。
神社縁起伝承はファンタジーのモヤに包まれるけれど、
それを大切にして敬神し続ける人間の活動は真実なのだと思います。
また痛ましい犠牲者のためにも高い尊崇心は鎮魂でもあるのかも。
多くの参集されたみなさんの思いに深く敬服するところです。

全国津々浦々に神社は建てられているけれど、
この少彦名神社は命がこの地で常世に旅立たれた、すなわちここで死んだ。
そういった神社縁起はきわめて特異なのだそうです。
梁瀬山という標高372mの山体自体が一種の墓域というように見なせる。
鳥居周辺にクルマを停めてから400-500mで参籠殿や拝殿に至るのですが、
そこからさらに階段がしつらえられていて、山頂に至るまで御陵などがある。
旅の途中であり、この階段に深く向かってうやうやしく二礼二拍手一礼して
お詣りとさせていただき、常世での命のご健勝を祈念いたしました。

しかし大国主命と協力して国づくりされ、いまも北海道神宮で
国土づくりの尊霊として民のためにお働きいただいているというファンタジー。
民族のこころのコア部分を見るようで癒されるものを感じさせられる。
こういう民俗は大切にしていくべきと思いを強くした次第です。

English version⬇

[Land construction and the reliance of the people’s hearts Sukunahikona Shrine-3]
Yesterday I imagined the era of the Shinto shrine.
The record of the shrine in the historical age is as follows in Wikipedia.
・ 1441: Utsunomiya Jirotaro dedicates a flat “Shohiko Mausoleum” to Sukunahikona Shrine
・ 1583: Masaoka Miyauchi Daisuke revives Sukunahikona Shrine
・ 1934: Sangoden is built.
2013: 2014 edition by the World Monuments Fund
Registered in the “Monument List of the Endangered World”.
・ June 4, 2014: Full-scale restoration begins.
・ June 11, 2014: A man on the ridge fell to death and repair was suspended.
・ Around August 1, 2014: Measures to prevent recurrence were taken and repairs resumed.
・ March 7, 2015: The completion ceremony will be held after the restoration work of the main body of Sangoden is completed.
・ May 30, 2016: One building of Sangoden (attached building tag and board drawing) is designated as a tangible cultural property designated by the city.
・ September 1, 2016: Received the UNESCO Asia-Pacific Cultural Heritage Conservation Award for Best Restoration.
The photo shows a close-up of the foot of the hall of worship and the state of the hall of worship.
When I happened to visit, many boys and girls were gathered
Our couple were also seen as distant representatives of their sons (laughs),
We received various explanations from people like the president of the school.
As expected, I was deeply convinced by the serious people of Keijin.
Many people did not know that the name of Sukuna bi kona was enshrined in Hokkaido Jingu Shrine.
Since it is enshrined in shrines all over Japan, you probably haven’t seen Hokkaido in particular.
It seems that the regional pride has been raised by being commended by UNESCO.
The tradition of shrine luck is wrapped in a fantasy haze,
I think that the activities of human beings who cherish it and continue to respect it are true.
Also, high reverence may be a requiem for the painful victims.
I deeply admire the thoughts of many people who have gathered.

Although shrines are built all over the country,
This Sukunahikona Shrine died here, that is, the life of the shrine departed to the eternal world here.
It seems that such shrine luck is extremely peculiar.
Yanazeyama, a mountain body with an altitude of 372 m, can be regarded as a kind of grave area.
After stopping the car around the torii gate, it takes 400-500m to reach the shrine and worship hall.
From there, there are stairs, and there are royal tombs up to the summit.
In the middle of the trip, I respectfully go deep into this staircase and give a second bow and a bow
We pray for the good health of life in the everlasting world.

However, the country was created in cooperation with Okuninushi, and it is still at Hokkaido Jingu Shrine.
A fantasy that you are working for the people as a ghost of land creation.
It makes me feel healed by seeing the core part of the heart of the people.
I strongly felt that such folklore should be cherished.

【神話ファンタジーと事実痕跡 少彦名神社-2】




昨日はチョー暴風雪到来でブログテーマは1日順延しましたが、
北海道神宮の「開拓三神」のひとつ、個性派「少彦名」さんについての続篇。
いちばん上はWikipediaのこの項のページにある神話伝承イラスト。
どうも江戸期に描かれたもののようで、少彦名の縁起を表現したもの。
大きく描かれている人物は大国主命で、その国づくりに際して
画面右上に「波に乗って現れた」少彦名さんが手助けにやってきた、という故事。
一方その下の写真は現在の「拝殿」と神社の縁起プレート板。
とくに縁起プレートには面白い記述があって興味深い。
それは「道後より南下され出雲系民族の多数住まへる大洲平野に現れ給い」
という記述部分であります。
この社伝では少彦名さんは道後温泉を発見して開いたりしている。
そして「療病の方法を教えられ」という記述もある。
古代史を見ていると、奈良の都で疫病パンデミックが猖獗したとき、
聖武天皇の后、光明子は現代で言うサウナ風呂を救世施設として造営している。
日本の医療、疫病対応として入浴の習慣というのは、
どうも始原期からの伝統的な行為だったように思われるのです。
神代の時代にすでに「道後温泉」を開いて療病の神さまになったという故事は
大変示唆的なのではないでしょうか。
そして医薬と醸造の神さまともされている。
お酒というものが始原期においては薬効あらたかなものとされたこともあって、
そのような神格として祀られてきた故事が浮かんでくる。
温泉を開発するには当然「土木建築」の手法開発も必然でしょう。
こういった伝承から少彦名の「事跡」が事実痕跡として見えてくる。

そしてやはり「出雲系民族」多数居住という解説が興味深い。
大国主の協力者として出雲系民族のNO.2と擬せられていた存在。
そして「海を渡って現れた」という伝承から推測すれば、
もともと南予地域に出雲から分枝した民族系統の一族であって
大国主命が国づくりという「統一事業」を発起したとき、
その一族の人間として南予地域をまとめて協力した、というようにとれる。
当然、瀬戸内海を渡って南予から出雲支配地域に「現れた」だろう。
神話ファンタジーの世界の表現だけれど、どうも歴史に書かれなかった
事実の痕跡を垣間見ることができるのではないか。
出雲系統はその後、国譲りしてヤマト朝廷に政権を譲渡するけれど、
ヤマト朝廷側でも、出雲系統の神々にはリスペクトを見せて
はるかな後世、あらたな国土としての北海道開拓経営に当たって
この大国主命と少彦名命を一宮、北海道神宮の神として祀った。
必ずしも歴史事実そのままではないだろうし検証しようもないけれど、
この少彦名命との偶然の出会いはたいへん民俗心を刺激してくれます。

English version⬇

[Mythical fantasy and traces of facts Sukunahikona Shrine-2]
Yesterday, the blog theme was postponed for one day due to the arrival of the Cho blizzard,
A sequel to one of the “Pioneering Three Gods” of Hokkaido Jingu Shrine, the individuality group “Sukuna bi kona”.
At the top is the mythological folklore illustration on this section of Wikipedia.
It seems that it was drawn in the Edo period, and it expresses the auspices of Sukunahikona.
The person depicted in large size is Okuninushi, and when creating that country
The fact that Mr. Sukuna, who “appeared on the waves” came to help in the upper right corner of the screen.
On the other hand, the photo below is the current “haiden” and the auspicious plate of the shrine.
Especially the auspicious plate has an interesting description and is interesting.
It “appears in the Ozu Plain, where many Izumo ethnic groups live south of Dogo.”
It is the description part.
In this company biography, Mr. Shohikona discovers and opens Dogo Onsen.
And there is also a description that “tell me how to treat the disease”.
Looking at ancient history, when the plague pandemic broke out in the city of Nara,
After Emperor Shomu, Komyoko built a modern-day sauna bath as a salvation facility.
The habit of bathing as a medical treatment and plague response in Japan is
It seems that it was a traditional act from the early days.
The fact that he had already opened “Dogo Onsen” in the age of the Gods and became a god of medical treatment
Isn’t it very suggestive?
It is also known as the god of medicine and brewing.
Alcohol was considered to have a new medicinal effect in the early days, so
The story that has been enshrined as such a deity comes to mind.
Of course, in order to develop a hot spring, it is inevitable to develop a method of “civil engineering”.
From these traditions, the “trace” of Sukunahikona can be seen as a factual trace.

And after all, the commentary that many “Izumo ethnic groups” live is interesting.
Existence that was imitated as No. 2 of the Izumo people as a collaborator of Okuninushi.
And if you guess from the folklore that “appeared across the sea”
Originally a clan of ethnic lineage branched from Izumo in the Nanyo area
When Okuninushi started a “unified project” called nation-building
It can be said that they cooperated with the Nanyo region as a human being of the clan.
Naturally, it would have “appeared” in the Izumo-controlled area from Nanyo across the Seto Inland Sea.
It’s an expression of the world of mythical fantasy, but it wasn’t written in history.
You can get a glimpse of the traces of the facts.
After that, the Izumo system transferred the government to the Yamato court, but
Even on the Yamato court side, show respect to the gods of the Izumo system
In the distant future, in the management of Hokkaido development as a new land
Okuninushi and Sukuna bi kona were enshrined as the gods of Ichinomiya and Hokkaido Jingu.
It’s not necessarily the historical fact, and I can’t verify it,
This accidental encounter with Sukunahikona is very stimulating to the folk spirit.

【「重く湿った」暴風雪直撃で札幌混乱】



本格的な新年活動開始というところで仕事も大忙しですが、
一方で交通通行状況では大混乱が北海道・北国を直撃。
一昨日新千歳空港に着陸後、天候がどんどん悪化していって
新千歳空港から札幌市内まで高速道路は除雪車両編隊による先導。
たぶんそうしなければ高速道路で重く湿った雪でハンドルを取られての事故が
多発するに違いないという路面状況。
除雪してすぐの路面ですら注意しなければ冬タイヤの4WDでも滑りやすい。
高速道路ですが時速30km以下の速度でじっとガマンの運転。
当然ですが「暖気運転」しなければ冬の車内気候は耐えられない。
札幌市内一般道では今度は「グチャグチャ」の融雪と多雪状況。
気をつけていないとすぐに車が立ち往生してしまう。
ようやく夜遅く自宅に戻ってひと安心と一睡した後、
朝になったら、チョー重たい雪が家の周囲を覆っている(泣)。
わが家前の道は中学校に面しているのでほぼ常時除雪が入るのですが、
それでも除雪後の重い雪がどっさりと家の前に溜まるのです。

スタッフ出勤時までにそうした除雪はようやく一段落したのですが、
昨日は終日こうした暴風雪が間断なく引き続いていた。
写真は北海道新聞WEB版の札幌市豊平区内での国道36号線の昨日昼間の状況。
札幌市内最高部類の幹線道路ですが、ほぼ全車両ブレーキランプが点灯。
渋滞ノロノロという状況なので
よほど緊急性のある案件以外では外出移動を控えた方が無難なレベル。
幸いわたしは外出の予定がなかったのですが、
そういう日に限ってスタッフのパソコンメンテも頻発(泣)。
それぞれの案件は軽微な対応でよかったのが幸いですが、
継続している最重要案件の打合せ対応しながら
一方でスタッフのクルマの交通移動での心配などもある。
まぁ北国の宿命とは言え、さすがに疲労困憊させられる。
その上、管理している車両1台がバッテリー上がりのトラブル。
時間が取れないこともあってJAFに対応をお願いした。
こちらも対応集中しているようで、けっこうな待ち時間でした。
幸い軽微なトラブル対応で済みましたが、
今後北国でも電気自動車が主流になっていくとこうした暴風雪など、
緊急時にはどんな社会的混乱が生じるか、予測不可能かも。
そもそも冬中、住宅の屋根は積雪でPV発電不可能なので
系統の電源に全面的に頼り切ることになる。
そうすると系統電源は現状では火力発電を多用することになる。
エコを目指して炭素の盛大な排出に頼り切る不条理。
全国の電力会社のなかでも経営体力のキビシイ寒冷地電力会社に
さらに困難な状況が襲ってくるのは容易に想像できる。
ドイツのエネルギー「敗戦」が欧米メディアで書かれてきている。
むしろEUは原発電源を「グリーン」エネルギーとして積極的に
活用すべきだという方向転換を図ってきている。

気候に振り回される北国の人間社会の宿命的な状況を見ると、
こういったエネルギー問題の今日性にも気付かされる。
さて世界はどういう方向に向かうのか?

English version⬇

[Sapporo confused by the direct hit of the “heavy and damp” blizzard]
I’m busy with work at the start of full-scale New Year activities,
On the other hand, in the traffic situation, a great turmoil hit Hokkaido and northern countries directly.
After landing at New Chitose Airport the day before yesterday, the weather was getting worse and worse.
The highway from New Chitose Airport to Sapporo city is led by a snow removal vehicle formation.
Maybe otherwise there would be an accident where the steering wheel was taken by heavy, damp snow on the highway.
Road surface conditions that must occur frequently.
Even the road surface immediately after removing snow is slippery even with 4WD winter tires if you are not careful.
Although it is a highway, driving at a speed of 30 km / h or less.
Naturally, the climate inside the car in winter cannot be tolerated without “warm-up driving”.
On the general road in Sapporo city, the snowmelt and heavy snow conditions of “guchagucha” this time.
If you’re not careful, your car will soon get stuck.
After finally returning home late at night and having a good night’s sleep,
In the morning, heavy snow covers the area around the house (crying).
The road in front of my house faces junior high school, so snow is removed almost all the time.
Even so, heavy snow after snow removal accumulates in front of the house.

By the time the staff went to work, such snow removal had finally settled down, but
Yesterday, these blizzards continued all day long.
The photo shows the situation during the daytime on National Highway No. 36 in Toyohira-ku, Sapporo, which is the WEB version of the Hokkaido Shimbun.
Although it is the highest highway in Sapporo city, almost all vehicle brake lamps are lit.
Because it’s a traffic jam
It is safer to refrain from going out except for very urgent projects.
Fortunately I had no plans to go out,
Only on such days, the staff’s computer maintenance frequently occurs (crying).
Fortunately, it was good that each case was a minor response.
While responding to ongoing meetings on the most important projects
On the other hand, there are also concerns about the traffic movement of the staff’s car.
Well, even though it is the fate of the northern country, it is truly exhausting.
In addition, one of the managed vehicles has a problem with running out of battery.
I asked JAF to respond because I couldn’t get enough time.
It seemed that the response was concentrated here as well, and it was quite a waiting time.
Fortunately, I was able to deal with minor problems,
When electric vehicles become mainstream in northern countries in the future, such blizzards, etc.
It may be unpredictable what kind of social turmoil will occur in an emergency.
In the first place, during the winter, the roof of the house is covered with snow and PV power generation is impossible.
You will rely entirely on the power supply of the system.
Then, the grid power source will use a lot of thermal power generation at present.
The absurdity of relying on the enormous emission of carbon for ecological purposes.
Among electric power companies nationwide, it has become a power company in cold regions with a strong management strength.
It’s easy to imagine a more difficult situation.
Germany’s energy “defeat” has been written in Western media.
Rather, the EU is proactive in using nuclear power as “green” energy.
We are trying to change the direction that we should utilize it.

Looking at the fateful situation of the human society in the north, which is swayed by the climate,
The modernity of these energy problems is also noticed.
What direction is the world going in?