写真はなにげに「どんな絵や筆文字が書いてあるのか」と ふと疑問に感じていた至近の神社の拝殿天井の格天井画の様子。 わたしはブログを書き続けてきていますが、 日々のことがらを表現するのに、文章と並んで 画像についていろいろ […]
Posted on 5月 23rd, 2022 by 三木 奎吾
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写真はなにげに「どんな絵や筆文字が書いてあるのか」と ふと疑問に感じていた至近の神社の拝殿天井の格天井画の様子。 わたしはブログを書き続けてきていますが、 日々のことがらを表現するのに、文章と並んで 画像についていろいろ […]
Posted on 5月 23rd, 2022 by 三木 奎吾
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サクラの季節が終わったあと、ちょっとするとライラックが咲き誇る札幌。 ちょうど今週末からは「ライラック祭り」の季節。 ことしはついに3年ぶりのリアル開催という喜ばしい知らせ。 フランス名で「リラ」というこの花は独特の芳香 […]
Posted on 5月 22nd, 2022 by 三木 奎吾
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紀州という北海道在住者からすると現代でもあまり縁の近くない地域。 たまたま家系伝承である起点になっている経緯に導かれて深掘りしてきました。 そのテーマについては非常にか細い手掛かり段階で これからできるだけ事実の痕跡を確 […]
Posted on 5月 21st, 2022 by 三木 奎吾
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城郭というのは戦国末期から江戸時代に非常に多く建築された。 地形のそれぞれの特徴を把握したり、軍事的な側面からの立地選択など、 いかにも「用」としての基本設計部分については 当時の軍事常識を踏まえた合理的な分析が可能だと […]
Posted on 5月 20th, 2022 by 三木 奎吾
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雑賀衆というのは紀ノ川下流域一帯で中世後期に形成された地縁共同体。 かれらは紀伊水道を経て列島各地と盛んに交易活動を行った。 紀ノ川は奈良県から和歌山県へと流れ紀伊水道に注ぐ一級水系の本流。 古都の奈良から紀伊水道を貫く […]
Posted on 5月 19th, 2022 by 三木 奎吾
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和歌山城の創建期から探究していていろいろな「掘り起こし」がある。 歴史というのは実にいろいろな人間模様を教えてくれる。 三十三間堂というのは京都の有名建築で、縁の長さが三十三間あるとされる。 京都市東山区三十三間堂廻町に […]
Posted on 5月 18th, 2022 by 三木 奎吾
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さて和歌山城の初期設計施工にあたった藤堂高虎の一連の築城について スピンアウトして探ってみました。 かれの心酔した主君・豊臣秀長にその築城の才を見出され、 その最初の仕事とされるのがこの和歌山築城だった。 この「高石垣」 […]
Posted on 5月 17th, 2022 by 三木 奎吾
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日本の城郭で基礎的な技術は「石垣」の積層技術なのでしょう。 自然地形を活かしベースにしながら、具体的な戦争行為をそこに反映させて 防御的な視点から陣地を構築して行くとき、 「攻め手が諦める」高い石垣というのが基本だと思わ […]
Posted on 5月 16th, 2022 by 三木 奎吾
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関ヶ原で勝利した後に家康は藤堂高虎に命じて「膳所城」を築城した。 この膳所城は古来「瀬田を制するものは天下を制する」と言われる地。 東国から京都に向かう琵琶湖南端に位置していて、 源平合戦期でも木曽義仲軍がここでの戦闘で […]
Posted on 5月 15th, 2022 by 三木 奎吾
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<和歌山城は「虎伏山」の自然地形を活用したもの。その由来を示す置物> 現代は人の集散機能性・交流優先の街づくりが行われている。 江戸末期人口が3,000万人社会から戦前期に6,000万人まで人口増加。 そして戦後から今日 […]
Posted on 5月 14th, 2022 by 三木 奎吾
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