日本史を見渡していて、言語文化コミュニケーションという領域での進化・変容が果たしてきた役割というものは必ずしも明確になっていないというか、あんまり興味は持たれていないと思う。 有名な明智光秀が本能寺直前に開催した連歌 […]
Posted on 3月 31st, 2024 by 三木 奎吾
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日本史を見渡していて、言語文化コミュニケーションという領域での進化・変容が果たしてきた役割というものは必ずしも明確になっていないというか、あんまり興味は持たれていないと思う。 有名な明智光秀が本能寺直前に開催した連歌 […]
Posted on 3月 31st, 2024 by 三木 奎吾
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さて1日、友人の葬儀の話題になりましたが、本日から中世の伊予松山城塞の話題に復帰。 この湯築城は豊臣政権成立期に中央権力によって「地域権力」としては終焉した。家系としては同族とみなせる播州英賀の「三木氏」も同時期に織 […]
Posted on 3月 30th, 2024 by 三木 奎吾
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人間70の坂を越えてくれば、お互いにいつなんどき消息が途絶えることは、この暗夜行路での自明のこととして受け入れていくしかない。 しかしつい先日、正月の会で元気そうにしていた友人が、新聞の訃報欄からのしらせで、突然姿を […]
Posted on 3月 29th, 2024 by 三木 奎吾
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きのうの続編であります。伊予という地域は古来から日本の支配構造の中でも重要な地域とされてきた。律令制の地域区分でも、たとえば源平合戦期には源氏勢力の分断を狙った朝廷側は、最大の軍事功労者・義経に恩賞地として伊予を与えて […]
Posted on 3月 28th, 2024 by 三木 奎吾
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本日は正月の夫婦旅・松山歴史篇。わたしの家系伝承では、兵庫県姫路市の「英賀城」に存在した武家・三木家というのに縁を遡れるとされてきています。歴史上の話なのでそこからもさまざまな有為転変、家系の交錯が見られるのですが、播 […]
Posted on 3月 27th, 2024 by 三木 奎吾
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洛中洛外図・岩佐又兵衛作品からの詳細画像から。 現代日本人の大人は街頭で踊ったりすることは稀でしょう。阿波踊りなどのイベントなどでは集団群舞が見られるけれど、ああしたものも一種の「様式化」ルールに基づいてコントロール […]
Posted on 3月 26th, 2024 by 三木 奎吾
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この図は、岩佐又兵衛作「洛中洛外図・舟木本」のひとこま。 高精細な画像解析で、そのディテールがクッキリと浮かび上がってきてたいへんオモシロい。洛中洛外図というのは一種の「映画」のような総合芸術であって、多くの人が興味 […]
Posted on 3月 25th, 2024 by 三木 奎吾
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きのう、出張からようやく帰還。この時期の移動では服装がまったく予測できませんね。札幌から関東へ行ったわけですが、札幌では自然にダウンジャケット。一方の関東ではサクラも開花という情報があって「え、どうしよう」ですね。わた […]
Posted on 3月 24th, 2024 by 三木 奎吾
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加齢してきて、自分自身をテーマにして少しは「いのち」というものと向き合うような気分に納得感が生まれ出てくるようになってきた気がします。「おいおい、今更かよ(笑)」と笑われそうですが、いろいろなこの世でのことに区切りを付 […]
Posted on 3月 23rd, 2024 by 三木 奎吾
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ここ数日、日中に歩きまわるようになっています。 わたしはだいたい、1日7-8000歩程度を目安にして,主に散歩などで運動量を一定程度確保するパターンを維持してきました。もうちょっと若い時期にはヘタなりにゴルフに行って […]
Posted on 3月 22nd, 2024 by 三木 奎吾
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