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【いのちを繋ぐおくどさん・東讃岐山村農家③ 四国住空間-37】

「最小限住宅」というコンセプトは戦後の復興期に 東大の建築工学をリードした池辺陽氏が打ち出したコンセプト。 今日では難波和彦氏の「箱の家」シリーズがその志向を継承していると思う。 復興期の家づくりにあたって指針を示してい […]

【日本的イエ意識・東讃岐山村農家② 四国住空間探訪-36】

今日では住宅の床面積はかなり拡大確保されてきている。 「ウサギ小屋」と対欧米社会との比較で言われていた日本家屋だけれど 経済発展の結果、家屋数と床面積は飛躍的に増え、 また「核家族」化と資本主義的な経済活動拠点の都市集中 […]

【東讃岐「ぐるり八間」山村民家① 四国住空間探訪-35】

いまから200年以上前の東讃岐の平均的な山村農家。 寄棟造・茅葺きの11坪というコンパクト住宅です。 「周囲〜ぐるり〜八間」と一般的に呼ばれた庶民の家という。 一般呼称の「ぐるり八間」というのはやや自虐的な愛称のように響 […]

【江戸末期の不条理な「公共」事業③ 四国住空間探訪-34】

才能豊かな「科学者」である久米通賢さんは幕末期を生きた。 1780年〜1841年という時代。 そして生を受けたのは江戸幕藩体制の四国での徳川家連枝・高松藩。 庶民には利発な少年であったかれを大阪に留学させ科学研究させるほ […]

【坂出塩田の父・久米通賢の家② 四国住空間探訪-33】

塩田というのは環瀬戸内海地域の十州が江戸期の最大産地。 そのなかでも讃岐は、一時期日本の塩生産の半分を占めるほどの 地域基幹産業になっていたとされ、その基板となる「入浜式塩田」土木工事で この住宅の主人、久米通賢の主導性 […]

【讃岐の江戸末期「科学者」の家① 四国住空間探訪-32】

四国の住宅探訪シリーズというかたちで継続していると その地域の歴史風土が重層的にどんどん見えてきます。 この「久米通賢先生旧宅」というのは四国村に移築保存された住宅。 1780〜1841年の61年の生涯の江戸期の発明家、 […]

【岩盤的残雪も「雪割り」でスッキリ】

昨日は東京からの来客の方も見えられて さまざまに情報交換。まん延防止期間も3/21満了ということで、 リアルに情報をやり取りできるのはやはり格別だと思います。 しかしパソコンを持ち込めば、その場に来られない人にも気軽に声 […]

【ウクライナ大統領メッセージと日本】

ロシアの侵略からすでに4週間が経過している。 現代世界のさまざまな実相が露わになってきているけれど、 昨日、日本の国会でオンラインでのウクライナ大統領のメッセージがあった。 あらゆる苦難のなかでウクライナの人々が示してい […]

【開放建築の建具技術「掬月亭」⑥ 四国住空間探訪-31】

きのうは皇室とこの栗林公園・掬月亭の関わりを見た。 日本社会のありよう、特質として古代からの「国のかたち」が 皇室の存続という形式で受け継がれてきていることが大きいと思う。 絶えざる「易姓革命」によって独裁権力が維持され […]

【大正帝好みの空間「掬月亭」⑤ 四国住空間探訪-30】

掬月亭は歴代の天皇家ともつながりが深いとされている。 とくに大正帝は掬月に隣接するこの部屋がお好みだったとされる。 この障子越しの松の右側にはお手植えの松もある。 明治36(1903)年10月に当時皇太子だった大正帝がお […]