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【人間教育と通過儀礼】

昨日の続きであります。 わが母校高校、学祭での行灯行列という、人間教育に於いて有為と思えていた イベントについて大きな変化があったということだそうです。 この行灯行列と呼称されていたイベントは伝統のものとして わたしたち […]

【盛夏37度? 札幌2021】

昨日いつものようにクルマで外出時、最寄りの市街地の金融機関温度計。 ほかの場所とは違って直射日光が当たるので、 どうも他の一般的な気温よりもやや高めの表示があるのですが、 それにしても札幌の気温としてやや常識外れのプラス […]

【街の句読点 札幌琴似レンガ館】

しばらく堺の町・中世商業都市周辺のことにテーマを絞っていた。 ブログを長く書いてくると自ずと「企画」的な方向を向いてくるようになりますね。 年齢もあってか、建築周辺の人間模様に惹かれてくるようになります。 ただ、その間も […]

【茶室・数寄屋の住文化DNA/日本のいい家特別篇㊱-12】

写真は堺市博物館展示で見た「大阪城山里二畳敷き」復元茶室。 利休の待庵は大山崎にあるけれど秀吉は政戦に忙しく訪れなかったといわれる。 ようやく大坂築城の段階になって、利休に城内の山里に草庵建築を命じたとされる。 なので当 […]

【利休69歳の茶会食膳/日本のいい家特別篇㊱-10】

昔の人がどんな食事をしていたかを知ると、 突然、その人のことが具体的な体感で伝わってくる部分がある。 以前も安土城での家康を饗応接待した信長の膳部、 差配したのが明智光秀で、芝居的には信長が光秀を責めたシーンの会食膳。 […]

【大航海時代の自由貿易/日本のいい家特別篇㊱-9】

徳川幕府が成立してしばらくの間、キリスト教という政治的波乱因子がありつつ、 大航海時代の世界的貿易ネットワークの一端に日本はあった。 先日の屏風絵で見たように鎖国前には、徳川幕府体制下でも西洋人が堺の町を ごくふつうに闊 […]

【草庵茶室2畳敷〜親「密」空間/日本のいい家特別篇㊱-8】

さて昨日の続篇です。 武野紹鴎が「真」書を正調四畳半として作り、その弟子の利休は 当時庶民がさかんに作ったと言われる「草」庵茶室を造作して 侘さびの表現としていったとされている。 四畳半に対して、その大きさも同じ正方形だ […]

【堺の町衆茶の湯と茶室建築論/日本のいい家特別篇㊱-7】

堺の町シリーズでやはり茶の湯に触れないわけにはいかないでしょうね。 市の博物館でも茶の湯のコーナーがかなりのスペースで設置されていた。 実際の茶室展示もありました。町のアイデンティティだとわかる。 わたしのブログでは最近 […]

【中世商業都市の街割り/日本のいい家特別篇㊱-6】

堺という街は仁徳天皇陵を大きなランドマークとして成立したと思います。 実在が確実な大王としての仁徳の陵墓をこの大阪湾の海岸線のやや高台に 建設した目的は、司馬遼太郎さんのコラムなどにあるように、 大陸からの来訪者に対して […]

【400年前、堺の町家・街並み/日本のいい家特別篇㊱-5】

上の写真は堺市博物館の中世都市復元模型街並み。 日本の都市は街道筋に面した商家が両側から客引きするようなのが基本。 この中世都市・堺では住吉大社祭礼ということもあり人出が多い。 集落と集落の間、境界に成立したケースが多い […]