本文へジャンプ

解体工事

先日、家の近くで住宅の解体現場があり、
出勤の途中なので、つい見ておりました。
住宅地の中で、いつも見慣れていた住宅ですが、
失礼ながらあまり印象のない家だったので、
こうやって解体されてしまうと、
さて、どんな家だったか、すぐに思い出せなくなるものですね。
町中の景観って、こういうようなもので、
一度壊されると、記憶までも消えていって仕舞うもの。
住宅にしろ、建築にしろ、
所詮は、人間の勝手な思いこみの中で作られるものですが、
まことに、「諸行無常」を感じさせてくれるものであります。
でも、この解体がなかったら、
当然ながら、新生もないわけで、
次にはどんなものが建つのか、どうなのか、
っていうような気分も起こってくる。
人間、想い出だけでは生きていけない。

日本人が好きなのは、みごとに消え去っていく桜であり、
きれいさっぱり死んでいった、
赤穂義士の忠臣蔵であるっていうことなのか。
ちなみに、吉良邸討ち入り事件が起こった当時、
江戸の世論では、一気に「忠義」の義挙として
賞賛の声が上がったそうです。
犯罪者として身柄をそのように扱った藩には批判の声が寄せられ
急遽、丁重な扱いに変えたという記録がある。
政治責任者である将軍も、
自分の判断ミスから出来した出来事であり、自分への批判という
側面もある事件ながら、こうした世論に押されて
人気取り的な情実処理に大きく傾いていたのだそうですが、
ある宗教者から、
このような義挙を行った人間たちを救うことはいいかもしれないが、
そういう人間たちが、生きていく中では
今後大きな不始末を起こす人間も出てくることがあるだろう。
そうなっては、せっかくの義挙も末節を穢してしまう。
ここは死を与えて、永久に義挙として封印してしまうほうが、
かれらのためにもなるし、忠義心を日本人に植え付けることにもなる、
という論理を諭されたと言うことです。
そして、散る桜のなかでの義士たちの切腹シーンが
日本人の心の中に永久に刻印されることになった。
まぁなかなか、奥の深い政治的決断ではあったのだなぁと
思われるお話し。
出処進退ということで、なにごとか、成せることがあり、
終わると言うことが、いろいろな意味を持つこともあるのですね。

っていうことを書いていて、
まったく論旨が飛びすぎですね(笑)。
単純に、解体現場であります。
でまぁ、小屋裏を見ていて、どうにも断熱材が見あたらなかったんです
・・・、すごい。
ついいままで、北海道札幌で、
こういう住宅で冬を過ごしていた家があったのですね。

北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.