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鎌田紀彦先生最新実験住宅 2

1876

きのうの続きであります。
最近の新住協総会での鎌田先生の発表でも
基礎のことは大きなウェートで研究が進められている様子が伝わっていました。
北海道で基礎断熱を提唱されたのは、北大の荒谷先生で
その最初期の実験住宅に鎌田紀彦先生が取り組まれたのです。
荒谷先生の提唱では、外周部の基礎の外側で断熱し、
区切られた内部は、土が断熱材という考え方だったそうですが、
その後、さまざまに実際に施工されてきて、
室内側から地中に熱損失しているという実態が見えてきた。
そこで、土間下全面を断熱する方が合理的という考えが支配的になった。
でもそうすると、その分の断熱材の費用が増えコストアップになる。
一方で、土間下全面断熱するとフラットな床面が獲得しやすい。
梁として作用する間仕切り壁のような内側コンクリート基礎を
「地中梁」として埋め込んでしまってフラットな土間床も作れるようになった。
多少コストアップしても、これって魅力的。
作業手間も考えると、コスト面でのメリットもある。
そんな考え方は以前から多く採用されていて
以下の写真は、わたしの事務所の基礎断熱の様子。
土間下全面が断熱されていて、その間に「地中梁」が配筋されている。
下には、今回の鎌田先生の実験住宅事例写真を載せます。
比較になるかも知れません。

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鎌田紀彦先生の場合には、
あくまでも「システム工学」的な追求が基本なので
工法的な合理化を徹底する方向を指向される。
この「地中梁」も土中に掘り下げたりせず、
配筋量の多い部位が「梁」という考えと見受けられます。
扁平になるので、鉄筋は横に拡大している。
ここに、コンクリートを打設するのですが、これを一回打設で仕上げてしまう。
このことは、本州地域でのシロアリ対策という側面もあるようです。
外周側基礎の形状は逆T字型ではなく
全体としてコの字が上を向いた一体成形の形状になっている。
こういった工夫で、基礎を単純化して合理化を図り
トータルなコスト削減、性能品質の向上を実現していこうということ。
わが事務所の場合には、このコンクリートスラブ面に
そのまま床仕上げしたのですが、
今回の先生の実験住宅では、大きな平面的床下土間空間になるそうで
束を立てて、床下地を組んでいくそうです。
足下の居住性を考えると、ハードなコンクリート床よりも一般的でしょうね。
こうした条件にさらに、地盤改良の杭と「捨てコン」の厚みの関係、
床面スラブの厚みなど、いろいろな検討条件が出てくるようです。
さてこうした試行で、どういった結果が出てくるか、
大いに注視していきたいと思います。

なお、先生からもいつも言われておりますが(笑)、
わたしは建築技術の専門家ではなく文系出身情緒系人間です。
そのようにご理解の上、文章をお読みください。

鎌田紀彦先生の最新実験住宅見学

1875

出張から帰ってきての翌日、
新住協北海道事務局からのお誘いがあったので、
鎌田紀彦先生の北海道内での最新の実験住宅見学に行ってきました。
実験住宅の目的は、

Q1.0住宅では、床下の土問コン下に全面断熱を施工することとしたいが、
コスト上昇が避けられない。そのため、基礎の工法合理化を図り
コストダウンにより全面断熱の費用を捻出することとした。
東北の災害復興の住宅建設に際して、土工の絶対的不足から
住宅建設のブレーキになっているとの声があり、
基礎型枠工事の合理化が求められてもいる。
<鎌田先生の当日配付資料より抜粋>

このような問題意識からの最新の実験住宅。
とはいっても、ごらんの通りの基礎についての発表です。
それも重力計算とか、地耐力計算などの専門的な数字が飛び交っていて
詳細な内容については、じっくり撮影したビデオや資料に当たらなければ
要約は難しい内容でした。
基礎の進化、性能向上とコストのバランスについて
その指標数字を詳細に検討しながら、
どのようなアプローチがもっとも最適であるかについての試行といえるでしょう。
その検討プロセスを聞いていていつも感じるのは、まさに実戦的ということ。
こういった研究姿勢を持っている方は、まことに得がたく、ありがたい。
鎌田紀彦先生が住宅建築研究者として
全国の工務店、実践者に強い影響力を持っているのは
つねに現場的な合理化を念頭に置いている、こうした研究姿勢が大きい。
木造の在来工法の革新が大きな先生のフィールドですが
切っても切り離せないコンクリート基礎工事についても
丹念に解剖を試みている様は、ひしひしと伝わってきます。
設計者や施工者はある程度、経験とカンで
よりよい工法を選択する部分があると思いますが、
研究者としては、どんな部分でも科学的に解明する必要がある。

先生はことし、長年住まわれた室蘭市を離れて
仙台に移転されると言うことですが、
寒冷地住宅、北海道での住宅建築研究において、
果たされてきた功績の大きさはまことに測りがたいものがあります。
今後も、新住協の活動をメインとして行かれるということ。
さらなる研究活動の深まりに期待したいと思っています。

朝日新聞・報道の自殺か?

1872

朝日新聞の件、
そんなに触れたくなくなっている気分もあるのですが・・・。
タオルの「謝罪」に続いては、「ふきん」作戦のようです。
まぁ、結局は商業新聞なので、こういった「拡材」による読者獲得が
なによりも重要な足腰部分であることは自明なのですが・・・。
どうも、報道としての根源的なありかたにおいて、
現在の朝日新聞の姿勢は、身の処し方に潔さが感じられない。

朝日新聞には、分が悪くても、戦後以降の「主張」を通して
きちんと事実の報道で自らを正して欲しいと待っていたけれど、
でももう無理なんですかね。
いまさら事実には向きようもなくなっているのでしょうか。
朝日をかつて好きだった人間には辛い現実が続いています。
いまや、自ら自作自演してきた
「戦後進歩派」というきわめて好都合な立場の中に、
いわば安全無欠な「カメの甲羅」にカラダ全部を入れて、
時の過ぎ去るのを待っているしかないのでしょうか?
しかしそれでは、いよいよメディアとしては死に近づく。
朝日新聞は戦前まで、それも終戦直前まで
イケイケ一億玉砕路線の論陣を張っていたそうです。
それが敗戦後、日本の保守的な権力への反対を鮮明にして
一貫してその立場を「主張」してきた。
ときには詐欺的なプロパガンダを行ってでも・・・。
しかし、戦前戦後のどちらの立場にしても、結局は
「うまくやって、儲かってきた」というのが、密やかな内語だったのではないか。
企業としての朝日新聞は、それだけの内部蓄積があって、
何もしなくても何年も食っていけるだけの資産が形成されているという。
それがその時代を情報産業として「生き抜く」
ベストポジションだったから選択した、
実は、そうであるに過ぎなかったのではないか。

こういったことまで広く一般の日本人が知るきっかけになったのが、
今回の朝日新聞問題の核心的な本質なのでしょう。
報道の中立性という仮面が実はまったくの虚構であったという
事実の開示、明示とでもいうべき今回の朝日新聞事件は、
日本人に多くの教訓を植え付けたことは間違いがない。
その上で、なぜ戦後・朝日新聞的なものが広く支持され、
「進歩派」という、いまとなっては欺瞞的な人権派、
保守的なるもの告発的スタンスが
なぜ情報ビジネス的に「好都合な立場」として成り立ち得たのか?
そういった検証が日本のメディアには求められていると思います。
こうしたメディア界全体の流れの中で
朝日新聞の「思考停止」に近い現状を深く危惧しています。

見て楽しい高麗門〜総持寺三松関

1871

息子が神奈川に住むようになったので
利便性も考え、ここのところ東京出張すると横浜・鶴見に宿泊が増えています。
鶴見だと、東京までだいたい30分だし、雰囲気が庶民的。
交通など通常的な利便性では問題がないし、ということなんですが、
そうすると朝の散歩には、総持寺参詣がいちばんいいということになります。
年寄りなので、そっちのほうがウェートは高くなってくる。
朝5時からおおむね1時間ほど、曹洞宗大本山としての朝の勤行が行われるので
早起きのわたしには、たいへんありがたい催事が毎日ある、という次第。
100円のお布施で束になったお線香をいただき、炎に炙って火を入れ
お参りした後、僧侶のみなさんが集団読経されている様子を拝観できる。
朝の楽しみとして、歳を取ってくると、こういうのがなかなかいい。
ということで、この境内入り口の門をくぐっていくのですが、
この写真は、境内に入って見返したところ。
以下、インターネットで収集したこの門についての情報・抜粋であります。

総持寺三松関〜總持寺の総門。
門前に立って、まず目に飛び込んでくるのが
「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた扁額(へんがく)です。
總持寺中興(ちゅうこう)の祖といわれる石川素童(そどう)禅師が
揮毫(きごう)されたもので、總持寺の祖院がある能登には、
みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来しています。
この総門は、禅宗寺院の第一門としては珍しく、
特異な高麗門(こうらいもん)の様式で建てられています。
「高麗門」は、文禄・慶長の役が行われた1592年ころから造られ始めた門。
鏡柱と控柱を一つの大きな屋根に収める構造の薬医門を簡略化したもので、
屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫が施された。
柱の構造は、鏡柱2本と内側の控柱2本から構成されている。
4本の柱は直立しており、2本の鏡柱上に冠木を渡して小さな切妻屋根を被せ、
鏡柱と内側の控え柱の間にも小さな切妻屋根を被せる。
<情報抜粋ここまで>

ということであります。
なぜこういうシンメトリーな配置で小さな切妻屋根を載せるのか、
その「用途」がまったく想像できにくいのですが、
まぁなるほどと、了解するしかない。
見ていて、なんか楽しいからいいか、っていうところであります。
だんだんよくなる法華の太鼓じゃありませんが、曹洞宗も考えているなぁ。
寺の本来の「山門」は、この門のさらに200mほど先にある。
俗世との最初の結界であります。
というか、こういう方向から見ると言うことは、動線的には帰り道であり、
俗世に参詣者を送り出す、というような意味合いが強いのかなぁ。
でもふと気付いてからは、この変わった門の容姿を見ていると
だんだんと愛着も感じさせられるから不思議。
宗教建築としての意味って、そういうことなのでしょうかねぇ。

木道の耐久性 自然との調和

1874

写真は、本日歩いてきた北海道札幌
北海道神宮境内から円山の自然歩道にかけてです。
この自然歩道には途中500m近くにわたる林道が含まれていて
そのなかを気持ちよく歩くのに、この「木道」が渡されています。
ここを歩くのは最大の楽しみに近い。
なんといっても、杉を中心にした針葉樹林で、下草類も適度に繁茂していて
空気の清浄感がハンパないくらい気持ちいい。
今の時期ですと、外気温13度でしたが、
ピリッとしたなかにも、穏やかさのある空気感がたっぷりと味わえる。
森林のフェトンチッドが、全身で浴びられるのですね。
きのう東京・神奈川から帰還してきて、
こういう空気を浴びると、平安な気分に浸ることが出来ます。

なんですが、標識のようなことであります。
なかなか、こういう外部木工事の耐久性には難しさがある。
風雨にさらされている中で、屋根も架けずに外部露出させて
しかも歩く人の自然とふれあうここちよさと利用便利性・安全性を担保するのは
たいへんに難しいだろうと思います。
それも個人の自己責任で行う造作であればまだしも、
このような「公共事業」として行う場合には、
公共としての責任が押しつけられてこざるを得ない。
万が一、この木道で一般人が事故に遭った場合には、
公共の責任が追及される、あるいはそれを覚悟せねばならない。
そういった事情は、誰の目にも明らかであります。
しかし、わたしのような利用者側からすると、なんとか維持させて欲しい。
たぶんそういったせめぎ合いの中で、この木道は現在存続しているのだろうと
そんなふうに想像しております。
何年もこの木道を利用していますが、毎年のようにメンテナンスが繰り返されている。
しかしさりとて、この木質の雰囲気が、金属製に置き換わることは
利用者としては、なんとかやめて欲しい。
また、それが耐久性を担保できるかどうかもわからない。
そんな二律背反的な反芻が、このような光景に出くわすたびに
繰り返し、自問自答させられる次第であります。
それと、管理者としてはこのように大袈裟に注意喚起せざるを得ないでしょうが、
もうちょっと穏便な注意喚起の方法もないものか、
そんなことも考えさせられる次第。
しかし、担当されている工事事業者さん、管理責任の担当の方たちの
現場的な苦労も、痛いほどに感じられます。
どのような維持管理が適切であるのか、いつも思い悩むのであります。
ってまぁ、一札幌市民ですので、なんともならない悩み事ではあるのですが・・・。

Replan北海道106号発売

1864

ご案内が遅れました。
本誌の最新号発売開始であります。
今回は、「平屋」への強い情報要望にお応えしての特集です。
ただ、敷地利用でどうしたらシアワセで楽しい家が建てられるのか、
というポイントで取材を進め、結果としては
「平屋VS高屋」という特集内容になりました。
ぜひ、ご覧ください。

2014年9月29日発売・2014年秋冬号・A4版
本体価格463円(税込:500円)

【特集】敷地のことも考えて 平屋VS高屋
最近人気の「平屋」と、上へ上へと面積を広げた「3階建て=高屋」。
建物の高さがまったく異なる2タイプですが、敷地の特徴を丹念に読み解き、
魅力的な部分は最大限に生かす一方で、
一般的に弱点とされることについては、それを感じさせない
工夫や、逆手に取ったアイデアがあります。
低くすることで叶うこともあれば、高くすることで叶うこともある。
諦めていたことが実現する可能性を大いに感じさせてくれるでしょう。

○case1.街なかの平屋
○case2.高台の平屋
○case3.スキップフロア
○case4.3階建て
Contents

●巻頭特集/ 敷地のことも考えて 平屋VS高屋
●十勝特集/十勝で建てるなら、ココ!
 厳選7社の実例とこだわりは必見
●もっと自由に! ガレージハウス
●未来につながる住まいづくり/第1回 YKK AP株式会社
●これからはリフォームに注目!
●連載 いごこちの科学〈東京大学準教授・前 真之〉
●New Building Report 〈新築実例集〉
●連載・ STORY OF ARCHITECTURE
 vol.7 函館 蔦屋書店
●北の建築家
 「木々と共にくらす家」 照井 康穂
 「NORTHERN NAUTILUS」 玉上 貴人

なお、今号から
「事前予約販売」を実施しましたが、
予想以上の反響で、全国各地からの予約購入をいただきました。
北海道の雑誌ですが、全国で「高断熱高気密」住宅性能への関心は
いまや、ナンバーワンの情報ニーズのようです。
高性能な家の実際の雰囲気、デザインはどんななのだろうかと
そのポイントに大きくこだわった当誌への感心があるようです。
直販もありますので、どうぞよろしく。


http://web.replan.ne.jp/content/bookcart/b1hok/h106/index.php

東大・前真之研究室「エネマネ」を語る

1870

ことし2月に経産省の肝煎りで住宅エネルギーの極小化に挑む
「エネマネ」が東京で行われた。
世界的には「ソーラーデカスロン」という各国代表による学生たちの
住宅コンクールが行われている、その日本版というのが位置づけでした。
で、東大・慶応・早稲田・芝浦工大・千葉大の5校による
実際に建てられたモデル住宅での省エネルギー競争で
コンペティションが実施され、東大チームがダントツで優勝した。
エネルギー使用実績で他大学チームに対して
ダブルスコアでの圧倒的な勝利でした。
この大会の模様については、その当時も触れていますが、
その後の推移も含めて、旧知のPVソーラーハウス協会全国大会にて
発表があると言うことで、取材してきました。
東大チームは前真之准教授のチームが中心的に関わり、
基本的には、断熱の徹底〜Q値1.3レベルの住宅性能の実現。
日射取得の徹底的活用。
さらに、潜熱蓄熱材を利用した熱のコントロールなどの
大きく3つの要素技術に着眼して、
さらにそれの制御手法をマネジメントして成果を収めました。
要約すれば、「断熱・日射取得・蓄熱」という基本要素を
徹底的に解析して、いわば「どパッシブ」な手法で勝利したといえます。
その詳細なプロセス、検討過程からシュミレーション、
制御方法の検討、実施に至るまでの報告がされた次第です。
午前中は直接がんばっていた学生さんたちによる発表。
引き続いて午後には指導した前真之准教授の講演がありました。

こうした住宅エネルギーの制御技術については
Replan誌面で前真之准教授に、連載で書いていただいているので
その詳細についての開示が聞けて、大変有益でした。
このエネマネもきっかけとなって、
「蓄熱研究会」が定期的に東大で開催されるようになって来て
また、全国的にもさまざまな動きが始まってきています。
いずれ内容をまとめて、紙面などを通じて発表していきたいと考えています。
前先生の発表は何回も聞いていますが、
今回、とくに気になったのが現状の日本の製造業技術について
総括的に触れられた部分でした。
東大工学部というのは、日本を作るという目的意識を持っている
そういった存在なのですが、
現状の日本のものづくりのスタンスが、あまりにもガラパゴス化していて
目先の日本市場での優劣のみに明け暮れるような構造になっていて
フラットな視点を持てず、世界市場の中で大きく停滞している
というような見方を披露されていました。
端的には「ウチワの論理」が、すべての組織に蔓延していて
ちょうどローマ帝国がゲルマン人に暴力的に滅ぼされるまで
ウチワだけの目先競争に明け暮れていて滅亡してしまった故事に
きわめて近似していると語られていた。
日本の大企業、官僚組織などに深く触れる機会が多いだろう先生から
そのような警句が発せられていることは、重く感じさせていただいた次第。
やはり多くの局面で見聞きする実態からも見えますが、
今日のニッポンが抱えている大問題は、そのあたりなのでしょうね。
「8〜9割は、もうニッポンはダメになるでしょうが」
という語り口には、しかし、戦闘的なパトスも感じたところです。

料理は、生きる最大の力

1867

きのうから東京に来ています。
って、あ、泊まっているのは神奈川県ですが(汗)。
夕食は坊主と、その友人に栄養補給をさせられました。
で、神奈川・横浜といえば、ということで中華街の予定だったのですが、
なんと、焼き肉を食いたいという強い希望。
中華なら、わたしもなんとかシェアできるのですが、
焼き肉では、なかなかいっしょにバクバクとはいかない。
5箸、6箸くらいで油分がハラに来る感じであります。
仕上げにビビンバや冷麺がちょうどいいくらい。
なので、その後は若いふたりの食欲をニコニコしながら
感嘆しておりました。
それにしても、まぁ、よく肉をたくさん食べること、食べること。
親のゴチだからか、食べられるときにいっぱい詰め込む感、ハンパない(笑)。
しょがないですね。若いことは良いことだ。

で一方、写真は中高年夫婦手作りでの、きのう朝の食卓であります。
それも朝早く、6時頃にできあがった食卓。
思い立って突然写真に撮ったので、申し訳ありません、食べかけです。
夕食の余り物の挽肉とナスの中華風炒め和え。
カミさん好物のトマト鶏肉煮込みスープ、
ほうれん草と油揚げの和風和え物、
青物入りの玉子焼き、
そして、白米・黒米・黒豆・玄米・ムギの5穀米です。
やはり年代の差、ということでしょうね。
こういう彩り豊かな食事に、無上の楽しさを感じております。
最近はこのバランスの5穀米に依存症気味(笑)。
ふつうの白米にはない、歯触り、食感の多様性が大好きです。
こういう主食があると、少量でも豊かさを感じられる。
それと汁物1品、プラスおかず1〜2品というのが、わが家の定番。
っていうか、最近のわたしの食事の基本であります。
帰省中には、坊主にもこの5穀米を食べさせて、
それなりにいいとは言っていましたが、
やっぱり、白米ばっかりの「腹にどっさり入れる」感覚のほうが、
しっくりと来るようであります。
まぁ、年代の違いでしょうかね。
でも、自炊生活、それなりにきちんと作って食べているようで
「今日は300円、きのうは500円」とかと、切り詰め生活で
毎日、食材を買い物して、考えて食事を作っているようです。
食べ物を、食事の満足感と経済コストとのバランスで考えながら、
日々、興味を持って料理に取り組むというのは、
「生活力」の基本ではないかと思っています。
がんばっていって欲しいなと
少し軽くなった財布を抱えながら、若いふたりを見送っておりました(笑)。

香港民主主義の戦い

1868

香港はアヘン戦争によってイギリスが租借した都市。
先年、100年にわたったその租借期間が終わって
中国に返還されて以降、1国2制度というような方針で
中国国内とは違う統治形態で比較的に自由な社会が容認されてきた。
それが、徐々に中国共産党の締め付けが強められて、
ついには、首長の選挙に
共産党の意に添わない人物は立候補できないことになった。
そうした流れに反発する民衆の大規模な反抗が巻き起こってきた。
きのう行われた民衆デモには催涙ガスが使われたと言われ、
反発を強めた民衆は、きょう、香港のビジネス街でのデモを予告している。
13億6500万人という巨大人口を抱える国家にして
中国共産党独裁という「人治」という政治形態が今後も機能するのかどうか、
この現代史の最大の疑問符について
ふたたび大きな結節点が訪れそうな予感がしてきます。
折しも、中国が突っ走ってきた改革開放路線による経済成長に
大きくブレーキが掛かり、都市部での異常な不動産価格上昇がストップし、
どうやら、日本の経験したバブル崩壊が、
あの国家規模で起こりそうな状況が差し迫ってきている。
中国という社会が、大きな転換点に差し掛かりそうな気がしています。
未確認だけれど、インターネットでは中国人民解放軍が
香港周辺に部隊移動をはじめているというようなきな臭い噂もある。

少年期に「アルジェの戦い」というドキュメント的な映画を観たことがある。
以下DVD紹介文より抜粋

民族の激しい怒りと憎しみと執念に殺気立つアルジェリアの独立運動を
生々しい迫力でとらえる、ニュース映像のように
緊迫したドキュメンタリー・タッチで見るものの感情と感覚を奮い立たせる。
1950年、フランス政府は北アフリカのアルジェリアで沸きあがった
独立運動を阻止するために、大軍を投入した。
民衆は怒りに燃え上がり、テロ活動に火がついて首都アルジェは騒然、
双方が目には目、歯には歯で復讐する憎しみの非人道的テロをくり返し、
多くの血が流れた。フランス側はテロの巣カスバ地区を包囲して
住民に残酷な拷問を加えた末に殺し、家を爆破した。
独立運動の指導者アリ・ラ・ポワンは若い生涯を閉じ、
テロは根絶されたと見えた。
1960年2月、突如、アルジェの街は群衆に埋めつくされた。
もはや独立の火を消すことはできない。
出演者の大部分は現地の素人、実際に独立運動に加わった者も少なくない。

主導者はフランスの暗殺者の手で消されてしまうのだけれど、
その絶望の場面のあと、壮大などんでん返しで
一転してスクリーンにあふれる圧倒的な民衆蜂起がアルジェの街を埋め尽くす。
そのシーンの感動は、あの時代の多くの若者の心を虜にしたと思う。
邦題の「アルジェの戦い」は、まさにその本質を伝えていた。
中国がどうなっていくのか、現代世界は固唾をのんで見つめている。

陸奥国一宮・鹽竈〜しおがま〜神社

1866

先日、ちょっと出来た時間で参詣してきた鹽竈神社であります。
現在では仙台市から、多賀城を経て塩釜までは
市街地がひとつながりになっています。
戦国の収束とともに、陸奥国を領した伊達家は、
それまでの伝統的な陸奥国の中心地、多賀城ではなく、
おもに防衛的な観点から、現在の仙台市の中心の青葉山に仙台城を築いた。
で、仙台で神社といえば、大崎八幡宮も知られていて
こっちは社殿建物が「国宝」指定を受けているので
社格も高いように思われているけれど、
本来的な意味で陸奥国の中心的神社は、一宮とされるこの鹽竈神社。
でも、なにか腑に落ちないものがある。
Wikipediaの記述でも(以下、要旨抜粋)

鹽竈神社は、武甕槌命・経津主神が東北を平定した際に
両神を先導した塩土老翁神がこの地に留まり、
現地の人々に製塩を教えたことに始まると伝えられる。
弘仁11年(820年)に撰進された『弘仁式』の『主税式』では
「鹽竈神を祭る料壹萬束」と記載され、祭祀料10,000束を
国家から受けており、これが正史における鹽竈神社の初見と言われている。
さらに延長5年(927年)の『延喜式』の『主税式』においても
祭祀料10,000束を国家正税から受けている。
『延喜主税式』によれば当時の陸奥国の税収は603,000束、
鹽竈神社の他に国家から祭祀料を受けていた3社の祭祀料は、それぞれ
伊豆国三島社2,000束、
出羽国月山大物忌社2,000束、
淡路国大和大国魂社800束であった。
これらと比較しても国家から特別の扱いを受けていたのは明白であるが、
同式の神名帳に鹽竈神社の記載は無い。
また、近世に至るまで神階昇叙の記録も無く、
式外社となったことと併せて朝廷が
一見矛盾するような扱いをなぜしたのか、その理由はわかっていない。
<抜粋ここまで>

同様のことは、熱田神宮についてもあって、
かの神社も国家から「一宮」の扱いを受けていない。
神道は、王朝以来の国家施設管理機構であり、
その内部的な扱いには、それなりの理由があるのだろうけれど、
いま、詳らかにはなっていない。
歴史過程との対比で考えると、立地的に見て、
王朝国家の遠の朝廷〜とおのみかど〜としての多賀城国府と
一体的に運営されていただろうことは見て取れる。
よくわからない経緯があるのでしょうね。
けれど、創建の説話の「塩の作り方を当地に伝えた」というのは、
その当時、相当に大きな事態であったのは間違いないことだと思う。
塩を作るというのは、海産物の交易にとって基本的な産業革命だっただろうし、
たぶん、それの「大量生産」技術のようなものを
この地にもたらして、三陸の海産物を輸出商品とさせたのではないか。
そんな妄想をいだいています。
現在の社殿は、見て明らかなように安土桃山様式の大好きな
伊達家の気風をそのまま表したような金と赤と黒という
極彩色キッチュデザインであります。
単純に、わかりやすくて、楽しいですね。