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木道の耐久性 自然との調和

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写真は、本日歩いてきた北海道札幌
北海道神宮境内から円山の自然歩道にかけてです。
この自然歩道には途中500m近くにわたる林道が含まれていて
そのなかを気持ちよく歩くのに、この「木道」が渡されています。
ここを歩くのは最大の楽しみに近い。
なんといっても、杉を中心にした針葉樹林で、下草類も適度に繁茂していて
空気の清浄感がハンパないくらい気持ちいい。
今の時期ですと、外気温13度でしたが、
ピリッとしたなかにも、穏やかさのある空気感がたっぷりと味わえる。
森林のフェトンチッドが、全身で浴びられるのですね。
きのう東京・神奈川から帰還してきて、
こういう空気を浴びると、平安な気分に浸ることが出来ます。

なんですが、標識のようなことであります。
なかなか、こういう外部木工事の耐久性には難しさがある。
風雨にさらされている中で、屋根も架けずに外部露出させて
しかも歩く人の自然とふれあうここちよさと利用便利性・安全性を担保するのは
たいへんに難しいだろうと思います。
それも個人の自己責任で行う造作であればまだしも、
このような「公共事業」として行う場合には、
公共としての責任が押しつけられてこざるを得ない。
万が一、この木道で一般人が事故に遭った場合には、
公共の責任が追及される、あるいはそれを覚悟せねばならない。
そういった事情は、誰の目にも明らかであります。
しかし、わたしのような利用者側からすると、なんとか維持させて欲しい。
たぶんそういったせめぎ合いの中で、この木道は現在存続しているのだろうと
そんなふうに想像しております。
何年もこの木道を利用していますが、毎年のようにメンテナンスが繰り返されている。
しかしさりとて、この木質の雰囲気が、金属製に置き換わることは
利用者としては、なんとかやめて欲しい。
また、それが耐久性を担保できるかどうかもわからない。
そんな二律背反的な反芻が、このような光景に出くわすたびに
繰り返し、自問自答させられる次第であります。
それと、管理者としてはこのように大袈裟に注意喚起せざるを得ないでしょうが、
もうちょっと穏便な注意喚起の方法もないものか、
そんなことも考えさせられる次第。
しかし、担当されている工事事業者さん、管理責任の担当の方たちの
現場的な苦労も、痛いほどに感じられます。
どのような維持管理が適切であるのか、いつも思い悩むのであります。
ってまぁ、一札幌市民ですので、なんともならない悩み事ではあるのですが・・・。

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