息子が神奈川に住むようになったので
利便性も考え、ここのところ東京出張すると横浜・鶴見に宿泊が増えています。
鶴見だと、東京までだいたい30分だし、雰囲気が庶民的。
交通など通常的な利便性では問題がないし、ということなんですが、
そうすると朝の散歩には、総持寺参詣がいちばんいいということになります。
年寄りなので、そっちのほうがウェートは高くなってくる。
朝5時からおおむね1時間ほど、曹洞宗大本山としての朝の勤行が行われるので
早起きのわたしには、たいへんありがたい催事が毎日ある、という次第。
100円のお布施で束になったお線香をいただき、炎に炙って火を入れ
お参りした後、僧侶のみなさんが集団読経されている様子を拝観できる。
朝の楽しみとして、歳を取ってくると、こういうのがなかなかいい。
ということで、この境内入り口の門をくぐっていくのですが、
この写真は、境内に入って見返したところ。
以下、インターネットで収集したこの門についての情報・抜粋であります。
総持寺三松関〜總持寺の総門。
門前に立って、まず目に飛び込んでくるのが
「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた扁額(へんがく)です。
總持寺中興(ちゅうこう)の祖といわれる石川素童(そどう)禅師が
揮毫(きごう)されたもので、總持寺の祖院がある能登には、
みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来しています。
この総門は、禅宗寺院の第一門としては珍しく、
特異な高麗門(こうらいもん)の様式で建てられています。
「高麗門」は、文禄・慶長の役が行われた1592年ころから造られ始めた門。
鏡柱と控柱を一つの大きな屋根に収める構造の薬医門を簡略化したもので、
屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫が施された。
柱の構造は、鏡柱2本と内側の控柱2本から構成されている。
4本の柱は直立しており、2本の鏡柱上に冠木を渡して小さな切妻屋根を被せ、
鏡柱と内側の控え柱の間にも小さな切妻屋根を被せる。
<情報抜粋ここまで>
ということであります。
なぜこういうシンメトリーな配置で小さな切妻屋根を載せるのか、
その「用途」がまったく想像できにくいのですが、
まぁなるほどと、了解するしかない。
見ていて、なんか楽しいからいいか、っていうところであります。
だんだんよくなる法華の太鼓じゃありませんが、曹洞宗も考えているなぁ。
寺の本来の「山門」は、この門のさらに200mほど先にある。
俗世との最初の結界であります。
というか、こういう方向から見ると言うことは、動線的には帰り道であり、
俗世に参詣者を送り出す、というような意味合いが強いのかなぁ。
でもふと気付いてからは、この変わった門の容姿を見ていると
だんだんと愛着も感じさせられるから不思議。
宗教建築としての意味って、そういうことなのでしょうかねぇ。
Posted on 10月 4th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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