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GMT工務店って、どうだろう

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わたしの関係する住宅マーケットでは、
ほかの日本の産業分野すべてで進行した「寡占化・集中化」という
資本主義競争・企業間格差の進行が一定のところでストップした。
住宅というのは、抜けがたくその「土地」に「根付いて」建てられることから
その地域の気候風土や慣習、ひとびとの在地意識が大きな要素になっている。

ほかの産業マーケットでは、おしなべてスケールメリットがすべてを凌駕して進行した。
大きいことはいいことで、大メーカーはそうなるに足る理由があって
大きな支持を市場から集めたのだという認識が広がっていたと思う。
町の小さな小売店舗が瞬く間にコンビニに姿を変えて
その「系列」化旋風が吹き荒れていった。
ごく少数のチェーン店に集中化していって、
個人商店という存在はほとんど市場から退場させられていった。
そこに全国集中した方が合理的だという判断が存在する限り、
寡占化は、どうしても進行する性質を持っているのだと思う。
今の時代は、その寡占化が世界的な規模で進行していて
一握りのグローバル企業が、零細な企業の存続を駆逐していっているのだろう。
スマホ市場からのシェア下位企業の相次ぐ撤退など
このような資本主義の鉄則は無慈悲に貫徹されていっている。

そのようであるのに、なぜか、
住宅というマーケットは、製造業ではあるけれど、
さりとて工場出荷製品だけでは、すべてが置換出来ない要素をたくさん持っている。
ほかのどこでもない、その土地、その場所に住まいは建てられる。
その土地は、あるいは冬にたくさん雪が降るかも知れないし、
火山噴火の降灰が日常的であるかも知れない。
自然風土の諸条件にフィットさせる 
さらにその上、そこに住むことをより楽しいものにしたい建て主がいて
それぞれに希望条件を持っている。
そういった,常に「特殊解」であろうとする条件が存在している。
いくつかの条件では、共通化は可能だけれど、
柔軟に条件にフィットさせる工夫も求められている。
そんなマーケットなのだと思うのですね。
そんな意味で、そのマーケットでの事業者のことを、よく「地域工務店」と呼ぶ。
なんだけれど、どうもこの呼び方では、ニュアンスが違うように思われてならない。
折から、「あまちゃん」では、天才シナリオライターの宮藤官九郎クンが
「GMT〜地元のもじり」という地元アイドルという概念に火を点けようとしている。
地域、と書いてきて、どうも違和感を否めなかった(笑)。
そういう違和感が「地元」、あるいはGMTという造語にすると違う言語感覚を放つ。
GMT工務店みたいな言葉の大転換が、起こって欲しい。
そんな妄想を最近抱きつつ、毎朝、手に汗しながらテレビを楽しんでおります(笑)。
どうかなぁ、誰か、言い出さないかなぁ・・・。
でもやっぱり、便乗感は否めないかなぁ、そうだよなぁ・・・。

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