ここんところ、北海道神宮に昼間に行くと
ごらんの写真のような光景によく出くわします。
中国人、まぁ、本土か台湾かはよくわかりませんが、大声の中国語のやり取りで
会話し合っている団体がたくさん来られています。
ヒットしたテレビドラマの影響で北海道の観光は、あちらの方で
人気になっているのだそうで、
一時の反日デモの影響も少しずつ薄れてきているのでしょうか、観光客が増えている。
で、北海道の観光スポットを掘り起こすウチに
神道のスポットである北海道神宮なんかにも、押し寄せるようになって来たようです。
日本の神社というのは、その位置づけがなかなかに難しい存在だと思います。
そもそも、神道というのは日本列島地域に根付いていた「多神教」の残滓でしょう。
ただ、それが明治以来、国家神道というように管理された存在になり
天皇制と結びつきを強めてきた経緯がある。
その時代の為政者層の都合で、そのような側面が強調された。
しかし、一方で全国に約85,000の神社があって、
その境内は、その地域の「公共」空間として長く生活文化と結びついてきた。
そのような自然発生性においては、縄文以来というような土着性がある。
天皇制と完全に一体なのかと言えば、
たとえば出雲大社などは皇室にも本殿内には立ち入れないなど、
そうとも言えないし、各地に存在する「八幡社」は源氏の氏神であるように
各氏族がそれぞれの神社を持っているので、
ほぼそういうことは言えない。
ただ、明治期から戦前までの限られた一時期だけ、「国家神道」的に崇められたに過ぎない。
それは、「帝国主義国家戦争」の象徴としてその時期の為政者が
利用してきた結果に過ぎない。
そういう意味で、存在そのものが玉虫色というものだと思います。
今日の社会に於いては、
そのような国家神道色は完全に後退している。
今日では靖国神社にすら中国人観光客が来たりしている。
まぁ、民衆レベルでは、このような平和な光景が当たり前であって、
そういった「普通さ」が大いに拡張していって欲しいものだと思います。
Posted on 8月 18th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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