さてわが社も「テレワーク」体制での分散オフィス型に移行。
いくつかのトラブルも発生しましたが、とりあえずはスタッフの安全確保。
問題点はなんといってもパソコンのパフォーマンス管理が大きい。
こういった環境になって見て、支給している端末ごとに
それぞれの問題点なども表出するので個別対応が必要。
問題点ポイントの特定、探索が必要になりますね。
コミュニケーションは減少するので、日常管理は大変だと感じます。
しかし緊急避難的な社会対応として、制約の中でどう仕事が可能か、
これも未曾有な環境条件のなかでの経験になっていくのでしょう。
しかしやはりストレス感は沈殿し、積み重なっていく。
こういうときには、どのように精神ストレスを落ち着かせるのか、
きっとみなさんお考えだろうと思います。
わたしは、般若心経をソラで唱えることが出来る特技があります。
父親が亡くなる時期に自然と憶えたのですが、
その以前、大学生の頃に東洋哲学に凝っていたことがあって、
般若心経の意味内容を父親に話したりしたことがある。
大学に行っていったいなにを勉強しているのかと懐疑的だった父ですが
この話にはいたく感心してくれて、数少ないわたしの親孝行だったかと
いまふりかえって思っている(笑)。
で、この写真は叔父が書いた書の般若心経であります。
漢字文化圏の表現文化で、絵画というのは中国発ではこれという
名作とか、これが最高みたいなものは見聞きしたことがない。
墨絵のような表現はあるのでしょうが、日本の鳥獣戯画みたいな
自由闊達な表現文化をわたしは知らない。
で、その代わり、書の文化というものがあって、
それに人格が投影されているみたいな感受性文化がある。
アルファベット文化、表音文字の文化圏ではあまり重要視されないけれど、
表意文字の漢字文化ではこの「書」が絵画のような存在なのかも知れない。
顔真卿の書が台湾故宮博物館から東京上野の国立博物館で公開されたとき
「死ぬまでに一度はその真筆を見たい」と中国の人たちが押し寄せた。
日本も基本的に漢字文化を受容してきたので
素養として書をたしなみ、その書を通して人格の涵養に努める文化を持つ。
しかし奥が深すぎて、その「審美眼」にはなかなか到達しにくい(笑)。
顔真卿の書には親族の無念の死に接して感情のほとばしりがあるとされた。
般若心経と書の世界、その深遠なゆらぎのなかに身を置いて
筆の運び、濃淡、微妙な文字の踊りようなど、にらめっこしておりますが、
さてこのコロナストレスは少しでも解消できるものでしょうか?
Posted on 4月 15th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: こちら発行人です, 日本社会・文化研究
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