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【働き方改革は「職人仕事」を消滅させるのか?】

・・・テーマのような論議があまりにもなさ過ぎるのではないか?
先日来、建築の仕事で長年働いてきたいろいろな方と会って話してきて、
日本の行く末を大きく懸念されている人が多い。
ある方は、ドイツの技術力の源泉としてのマイスター制度が健在であるのに
日本社会は、その技術力の源泉である「職人仕事へのリスペクト」を
いま、大きく毀損させることに狂奔しているとされていた。
日本が日本たる最大の源泉はこのことにあるのに、
それを「労働行政」という観点から一掃させようとしている、とされた。
ちょっと前まで「ゆとり教育」という官僚統制型の施策が行われ、
あっという間に揺り戻しにさらされた「制度いじり」があったけれど、
この「働き方改革」にも同じ雰囲気が漂っていると思わざるを得ない。
職人仕事の世界は、かれらから見れば非論理的な「探究」の世界であって
労働行政的には「根絶したい」ものと見えやすいのだろうと。
官僚的視点から見てたぶん、いちばん制御不能に見えるのは、
「職人仕事」なのだろうと思えます。

しかし逆に、職人仕事的に「働き方改革」を志向する、
っていうような逆転発想もあってしかるべきではないだろうか。
職人仕事というのは、資本主義的な「即・換金」思想ではない価値感。
ひとの役に立つモノづくりを真摯に探究する営為。
お金というのは、あくまでも結果評価の世界であって
職人仕事は、そういう金銭価値とは違う価値観で労力を使うもの。
よりよいものを作り出すには、一見ムダにしか思えない
そういった労働を積み重ねる中から生まれ出てくるもの。
人が人の仕事に深いリスペクトを感じるのはその部分の「磁力」が強い。
すぐれた職人仕事を深化させられる方向で「働き方」を見直してみる
そういった「働き方改革」という視点を社会は持てないだろうか?
いま、多くの人からそうした意見が湧き上がってきている。

きのうも、大工仕事で「技能オリンピック」に参加されて
みごと金メダルを獲得された方の話を聞く機会を得た。
かれは、企業勤務ではない独立的職人稼業だったのですが、
そのオリンピックに参加するための費用を考えれば
多額の負担の怖れもあって活動を当初は「辞退」されたそうです。
同じオリンピックに参加した同期の人たちは企業勤務者ばかりで、
かれらへは、そうした費用を企業が負担した。
しかし個人事業主の職人である彼には、そうした支援はなかった。
結局オリンピックに参加するための「渡航費」や参加中の総費用は
多くの人の善意のカンパによって成就したと言うこと。
技術は職人仕事という「探究」によって成立する世界だけれど、
日本社会では、個人事業主としての「職人」仕事というものが
今後とも成立していくのだろうか、と思わされた。

働き方改革について、いま職人仕事がどうしたら存続可能か、
真剣に論議し、逆に職人として働くことを社会全体がリスペクトする方向に
大転換させていくことは出来ないのだろうかと強く感じる。

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