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【関西圏、どこへ行っても歴史だらけ】



さてきょうは更新がすっかり遅れました。
出張が続いていたので、雑務やらで平常回帰するのに時間がかかる(笑)。

きのう、写真上のように大判の地図を購入してきました。
縮尺50万分の1というヤツだそうですが、
行動してきた範囲を再度確認しながら「土地勘」を磨くべく、
壁に貼って常に眺めようと思う次第であります。
今回は西は姫路から東は滋賀県栗東市くらいまで、
さらに南北は北は京都市から南は和歌山県田辺市までの行動範囲。
主に歩いた東西南北で120km圏内ということになります。
ただし、田辺はほぼ点的に移動したので、実際上は南北70km程度。
こういう距離範囲と考えると北海道にそのまま持ってくると、
札幌と旭川の間が140km相当なので、そのエリア内になる。
この範囲内に北海道では人口は300-400万でしょうが、
関西圏の方では2000万人くらいにはなりそう。
人口密集度もケタ違いですが、歴史経緯にいたってはまったく違う。
北海道はアイヌ民族の遺跡などは少数ありますが、
それも墓地などの遺構が少数残っているだけ。
それに対して、関西圏はわたしのような人間にとってすら故地がたくさんある。
2枚目、3枚目の写真は兵庫県中央部の「三木市」の中国道PAの様子。
この街は、秀吉が攻城戦を仕掛けて陥落させた播州の城跡。
司馬遼太郎「播磨灘物語」では前半部分の大きな舞台。
司馬さんは本姓「福田」さんで、英賀城で先祖同士関わりを持ったらしい(笑)。
播州人にとってこの「三木攻城戦」は長く口伝された郷土の戦争譚。
司馬さんの調査では、明治になって庶民に苗字が許されたときに、
この播州では多くの人が「三木」姓を名乗りたいと申し出たとされています。
織田・羽柴の中央政府軍に対して播州一国を挙げて抵抗したことが、
播州人のプライド、アイデンティティになっていたようです。
高速PAにこんな現代マンガイラストが展示されていて、
これからも長くこの地の伝承が伝わっていくのだなと思わされた。
わが家系もこういった状況に関わってもいたようなので、
この地にはふたつの時間が重なり合うようにして流れていると感じますね。

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