お恥ずかしい絵で恐縮なのですが、
この絵は、母親が高校卒業後、東京に向かったわたしが札幌に残していた
「青春期の遺品」(笑)のなかにあったもの。
これは一種の自画像のようだと、見つめております。
まぁ、比較的に明瞭なモチーフなので
いま、見ていても子どもらしい部分が感じられてなつかしい。
こういう風に心象風景をピンナップしておくというのは、
自分自身にとって、貴重ななにかを感じることができますね。
カミさんからは当然のように酷評されましたが(笑)、
恥ずかしさを乗り越えて自分自身、まっすぐ見てみたいと思っている次第。
絵というのは、論理的に解析できる部分もあり、
同時に自分でも意識できていない深層での心模様も見えるもの。
描いたのは自分なので、おおむね状況意図的には理解しているし、
ディテールで表現したものも明解さはある。
描かれた地球の一部、陸塊の「切り取り」部分は
札幌の街をシンボリックに表象化させたものです。
描かれた山は札幌のシンボルの「藻岩山」。
わたしは札幌市のどっちかというと西側で過ごしていたので、
象徴的な山としては、「三角山」や「手稲山」もあるのですが、
小学校中学校とも、家から藻岩山に向かっての通学路で、
印象の世界では「札幌らしい」山としてこっちの印象が強かったのでしょう。
で、切り取られたエリア陸塊の形状も、上下を反転させてみると
なんとなく藻岩山のカタチに似ている。
で、こういうふうに一種の浮かぶ陸塊という発想は、
子どもの時に見続けていたNHKのひょっこりひょうたん島が
モチーフの部分で大きく与っていたに違いない。
空は、左側の闇から始まって、山の上にはアームが付いた
人工的太陽が照らしていたり、黒雲が湧いていたりもしている。
札幌は石狩川に向かって豊平側が合流し、
それがやがて石狩湾に注いでいくのですが、
なんとなくそういった地理的デフォルメが伝わってくる。
そういった陸塊がもたらしている影には、やや血の色が混じっている。
そういう「背景」に対して、自画像的な人物がなにを訴えるのか、
感情をぶつけるボディランゲージをあらわしている。
なぜか、かれのリュックには陸塊を切り取った表象なのか、
ツルハシやスコップが入れられている。
・・・まぁ、自分自身の正直なところが表現されていることは間違いがない。
自虐と諦念のような心理で、自宅自室の机の前に眺めております。
本日は、まったくブログ趣旨を逸脱しました。
明日以降、住宅ネタに復帰しますので、お許しください。
Posted on 6月 16th, 2017 by 三木 奎吾
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