一昨日、友人からのメール。
高校同期の友人が正月から入院し治療していたところ、
病勢衰えず、ついに息を引き取ったという知らせ。
本日夕刻、通夜という連絡でした。
人間の寿命が長くなってきて、
わたしたち年代で男性の平均死亡年齢は82歳だという。
わたしは65歳なので、あと17年と言うことになるけれど、
しかし日常生活に於いては、日々の継続であり、
健康の保持に留意しながら、淡々と過ごしているので、
死をつねに意識して生きているわけではない。
きのう麻生副総理は、「人生で2番目に大切なことはなんですか?」
という野党議員のワケのわからない国会質問に答えて、
「2番目…うーん、2番目…」と言葉を詰まらせたが、その直後に
「私は、この種のワケの分からん質問がきたときには答えることはひとつ」とし
「人間で生きていく上に大事なことは、
朝希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝とともに眠る。
この気持だと思っています」と答弁した。
非常に端的で、質問者のレベルをはるかに超えていて、
もう質問の意味はないのではないかと、わたし年代には思えた。
そんな気分で生きていて、ふと訪れるこうした知らせ。
高校同期というのは、いろいろな人生が実質的に始まった
そんな共存的な意識が強くて、とても他者的にはとらえられない。
なにか、身を削がれるようなそんな実感を持つ。
節目節目で関わりもあった友人の死。
やがてこのようなことが群がってくるのだと思うと、
内側から、なにかかすかに震えるような思いが沸いてくるものですね。
謹んで葬送に行ってきたいと思います。
合掌。
Posted on 3月 16th, 2017 by 三木 奎吾
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