宮古島から来て北海道の住宅を巡ってくれた伊志嶺徹子さんの
宮古島での設計事例として、公営住宅の解説があった。
わたしは実物を見学しているので、そのときの体験を追想しながら、
多くの再度の「気付き」を得ていた。
とくに建築家の山本亜耕さんが、その公営住宅の間取り図に着目されて
エントランス、玄関周辺の間取り構成を質問されたとき、
見学時に感覚した「空間の豊かさ」について、再確認した次第。
まぁその見学は、住まいと環境 東北フォーラムという、どちらかというと、
住宅熱環境をテーマとする見学で、壁から内の熱環境に興味が集中、
彼我の相違を対比的に見るという見学習慣が刷り込まれていた。
それに対して相撲を見に行ってテニスを見るような
そんな豆鉄砲を食らったハトみたいに意表をついた攻撃を受けて
その場では詳しく質問出来ず、今回山本さんの質問から、
改めて、その不意打ちで受けた「空間の豊かさ攻撃」体験が蘇ってきたのです。
思わず伊志嶺さんに「宮古島に移住したくなったくらい、あれよかったです」
と言ってしまっていた(笑)。いきなりホンネが出てしまったというか。
山本さんの指摘から、あの見学で抱いていた感覚が一気に襲ってきた。
そうなんです。公営集合住宅ということで法的な縛りと防火などの設計要件を
満たしつつ、なお、コストの問題をクリアさせるのには、
ほぼ全国画一の仕様パターンが行われるに相違ないという刷り込みがあった。
ところがそこで見せられた住宅では、玄関という概念が非常に拡張して、
人間の出入りにおいてごく自然で、ソトとウチとの区画性を感じさせない。
具体的には、明確な防火玄関ドア、鉄製扉がなかったのです。
伊志嶺さんも説明資料をいくつかスライド表示されていたけれど、
その見学時の取材写真を再度探し出して再構成したのが上の写真・図面類。
当方としては熱環境的な取材としての訪問意図だったけれど、
そこにあったのは、違う次元での建築の環境対応。
わたしは戸建て住宅がメインの住宅情報人間であるので、
共同住宅、集合住宅の一般的知識には乏しい。
ただこの見学の時、「めちゃくちゃいいな」と思っていた。
集合住宅なのでコンクリート造であるのだけれど、
玄関は木製の引き戸であって、その入ってすぐには木製の自立壁、
そう、沖縄に特有な「ヒンプン」が装置されていて、
あえてそこから「回遊」させられつつ、居室内部に導かれていく。
内部は、肌に触れる部分の仕上げには木質がセレクトされて使われていた。
床フロアの色合いはかなり濃いめで仕上げられていた。
この見学居室はいちばん大きめのタイプのようでしたが、
とにかく導入部分・エントランスがたいへん豊かな空間構成なので、
家のウチとソトの関係性が非常に開放的と感じられた。
家を出ればすぐに東シナ海の遠望が目に飛び込んでくる環境。
公営住宅でありながら、こういったバッファーゾーンの豊かさが実現している。
これは建築家としての伊志嶺さんの強い説得力の産物であったようです。
行政側との詳細な(笑)やり取りの様子も聞かされました。
ですからもちろん沖縄のどこででも実現できているわけではないでしょう。
このあたりのことは専門外なので、詳しくはありません。
寒冷地では居室内での熱環境の確保保全が最優先になるけれど、
蒸暑地沖縄・宮古島では、ウチとソトの暮らしのアクティビティこそが優先され
設計の視線としての重視項目に「暮らし方の豊かさ」目線が大きい。
そしてこのアクティビティは、バッファーの豊かさに裏打ちされている。
沖縄の家はバッファーゾーンの方がむしろ居住性の大きな要素を持っている。
家概念が少し違う。北海道ではこうしたバッファーの豊かさは追究しにくい。
単純には「相互浸透」はしにくいでしょう。
まったく違う様相の中にあるワケだけれど、しかし少なくともわたし自身は
北海道の人間としても強く惹かれるものをそこに感じる。
逆に沖縄の人は北海道の家をどう感じられるか、そこもよく知りたいですね。
Posted on 2月 16th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 住宅性能・設備
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