わたしの「書籍」読書習慣はいまや、まったくのKindle化。
雑誌はやはり紙の方がいろいろに優れている部分が多いと思うのですが、
「書籍」の方は、その本がKindle版になるまで、待っている状態。
ということで、先日、紙の本としてはもうボロボロになるまで
読みまくっていた「司馬遼太郎・関ヶ原」をふと思い出して
新潮文庫版のそのあまりの落丁、ボロボロぶりに、
ついに意を決して、Kindle版を購入することにいたしました。
大体、上巻と下巻はボロボロになっていながらも
見つけることが出来たのですが、中巻にいたっては、
どこをどう探しても、見つけることが出来なかったのであります。
購入したのが,学生当時のハズなので、
軽く40年以上前のこと。そこから引っ越しも9回も繰り返していますから
まぁムリもありませんね。
余談ですが引っ越しって、わたしは、生涯でここまで14回になります。
最後の引っ越しから25年以上経って、落ち着いたわけですが、
人間というのは、よく引っ越しをする動物ですね。
で、kindle版のいいところは、
電子デバイスがあれば、どこででも読書が続けていられること。
きのう、函館・青森の出張から帰還したのですが、
その間のとくに移動の汽車の中では
iPhoneでずっと読み続けられたのであります。
とくに函館から札幌までは、折からの雪まつりでの中国からの観光の
みなさんが車両の大半を占める環境の中、
まさに没入することが出来た次第であります。
で、上巻を途中で読み終わって、中巻に立ち至った次第ですが、
これがまぁ、はじめて読んでいるような新鮮なシーンの連続。
一度も読んでいないワケではないのですが、
それこそ上巻や下巻のように、一字一句まで
そのフレーズ全体を暗記しているようには
この「中巻」は、なっていないことに気付いた次第なのです。
わが家の本棚で発見できなかったのは、こういう読書体験が関係している。
「ひさしぶりに関ヶ原、読んでみっか。えっと、あ、このシーン」
っていうように読み始めるのが、初めのシーンの上巻と
クライマックスになっての合戦への盛り上がりの下巻にほぼ集中する。
3巻をまとめたら、なぜか手が進まないのが中巻だと。
しかし、その結果、大好きなのに新鮮という
後の祭りのおたのしみというような、無上の歓びが得られる(笑)。
「おおお、そうだった、そうだった、あ、こんなシーンもあったんだっけ!」
と、大喜びしながら、中国人のみなさんのど真ん中で
ひとりほくそ笑みながらの不気味な楽しみにどっぷりとハマっていたのであります。
関ヶ原は、政治ドラマであり恋愛ドラマであり、人間ドラマであるわけですが
読み返してみて、いまや日本の古典に属していると感じます。
そしてコマ割りされたシーンは、まるで歌舞伎の1場面のようにも思われる。
戦後という日本史の中の一時代を代表するもの。
近松門左衛門、琵琶法師といった日本人気質形成の部分にまでいたる
そんな作品性を感受させられております。
そういう楽しみも、Kindle化にはあるのだと思った次第。
Posted on 2月 6th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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