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イキモノとしての住み処・環境

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写真は先日の網走での会議のおりに見学した
住宅地の様子。
光輝建設さんという地元のビルダーさんが
いいすまい方というコンセプトを考えて開発した住宅地。
札幌近郊には「スウェーデンヒルズ」という北欧スタイルの住宅地がありますが、
欧米に多い、ゾーンとしての開発行為で作った街並み住宅の流れです。
人間の環境要因には、箱としての家をどう作るか、
ということ以上に、「どんな場所に住むか」という選択肢も必要。
たぶん、多くのひとにとってはそちらの方が大きな問題でもあります。
北海道に住む、ということのイメージの中で
こんな風景の中に抱かれるように暮らしたい、という心情は
大きい部分があるだろうと思います。

日本の土地造成って、非常にステレオタイプな
極端に言えば、まっさらな、それも出来るだけ平坦な更地群、
っていうような思い込みに近い提供方法が多い。
それも道路もほぼまっすぐで、道路へのアクセスの
平準化・公平性のようなものが
不可欠要因のようにして、造成販売されている。
そういう方が「売れやすい」という固定観念に縛られていると思います。
だから、きわめて魅力のない、
どこにでもある、っていう条件を最優先したような土地提供になっている。
木を植えたり育てたりというような、
環境的な「街並み」熟成のようなことについては、
「個人の勝手」として、ユーザー側に放り投げられているのがほとんど。
こういった状況には、法的な問題や公共サービスの問題も内包されている。
建物は「接道」ということが必須条件になっているし、
電気ガス水道といった公共的インフラ整備についても
「より合理的」という判断基準が優先されていく結果であるといえる。
しかしそんなところに住みたい人ばかりでもないだろう。
っていうような試みには、いろいろな困難が降りかかってもくる。
そういう側面については、よく理解出来るのですが、
やっぱりおかしいなぁと思う次第です。
たぶんいまの社会システムが「個人主義最優先」になっていて、
「公共的環境価値」というものへのリスペクトを失っているからではないか。
そんな思いが強いです。
しかしひるがえって考えてみると、個人主義の本家の欧米では
むしろ環境価値について、デベロッパーを兼ねた建築事業者サイドで
企画立案し、それを含めた価値としてユーザーに住宅販売している。
(というほうが、支配的な住宅販売形式)
先述したスウェーデンヒルズとか、この写真のような取り組みなどは
そういう欧米スタイルの販売手法であるワケです。

こういった住宅地のたたずまいは、
熟成すればするほどに、暮らす味わいが深くなっていく。
たぶん「環境の中で生きている」という実感を感受しながら
暮らしていくことが出来るのだろうと思われます。
イキモノとしての人間には、
こんな環境がやはりふさわしくはないでしょうか?

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