本文へジャンプ

ああ網走番外地

1885

北海道の開拓に当たって、
道路整備や開墾整備などの重労働が必須になった明治初年。
その使役労働力として、囚人の活用が考えられた。
このあたり、まことに国家というのは、面白い仕組みだとも言える。
社会の中で犯罪を犯した人々の更正をはかるのに
労務を課して、その罪の償いをさせるというのは、
ある意味では国家の強制性のひとつの発露ではあるでしょう。
法治国家での明確な「罪と罰」。
戦争というような、政治外交的な為政上の失敗を
人民に押しつけるというようなことと比較したら
たいへん温和なレベルの権力の行使だといえるでしょう。
確かに人権論議とあいまって、微妙な側面はあるとはいえ、
相当の蓋然性を持っていると思います。
しかし、北海道の開拓というのは
明治国家の国策の中でも、困難性は際だっていたことでしょう。
この網走監獄に送られた囚人たちの主な労役は
旭川から網走までの山岳を含む長大な地域での道路開削。
現在でも石北峠を回って、クルマでも3時間はかかる。
たぶん、200km近い距離。
その山林原野を、重い鉄球を足に付けられながら、
一本一本の原生樹木と格闘しながら、切り開いていったのでしょう。
そんな囚人たちの施設、網走監獄を見学してきました。
いまはいろいろな建物が重要文化財に指定されているそうで
ミュージアムとして、観光施設化しております。

先日の網走での会合ですっかり
網走湖の風景に魅せられまして、
カミさんと連休の旅に来ております。
ふたりで交代しながらの運転なので、あんまり疲れることはない。
長距離の移動も、こういうことなので苦にはなりませんね。
夫婦ふたりでの時間が長くなっていくでしょうが、
こんなふうに好きになった土地をあちこちと巡り歩くというのもいい。
やっぱり北海道は自然の美しさに触れられるのがいい。
けれど、そういうなかでも、
こんな「人間くさい」歴史過程を持っている施設が
北海道でももっと発掘されていく必要がある。
景色はすてきだし、こころを休めたり踊らせたりしてくれるけれど
人間の活動痕跡には、いいがたい重みもありますね。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.