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宗教と歴史的戸籍実務

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写真は広島県尾道市のある寺の境内。
尾道は寺が多い町として知られているのですが、
なんと、同名のお寺がふたつもあるのだそうです。
ひとつは訪れた浄土真宗のお寺で、千光寺ロープウェイの東側の高台にある。
もうひとつは真言宗のお寺で、東尾道にあるのだと
まだお若い住職さんが教えてくれた。
一瞬、間違えたかなと思ったのですが、
こちらを次兄が訪問した10数年前、年配の住職さんがわが家の家系に繋がる
過去帳からの情報をお伝えいただいたと聞いての訪問だったのです。
しかし住職さんの代替わりがあったのか、
今回はいっこうに情報が得られず、また墓も確認できませんでした。
庫裏を訪れ、問い合わせたけれど
「なにせ、数千のお墓があるもので・・・」という説明でした。
まぁ、ムリからぬところではあります。
しかたなく、少しは関係がありそうな墓域を探し回ったのですが、
やはりよくはわかりませんでした。
日本は明治維新以降、戸籍事務は江戸期までの寺による管理を離れ
国家機構が直接把握する方向に変わったのですが、
しかしそれ以前の戸籍情報は、寺にしかない。
であるのに、行政は税金で運営されているけれど、寺は自営。
結果、興味を持った人間が「志」と書かれた封入りをもって
お寺さんをめぐる、ということにならざるをえない。
というような不合理な管理状態は一般に普及利用されるわけもなく、
なんにでも「お金がかかる」というような忌避感を庶民に植え込んで
宗教施設にはだんだん足が遠のいていって
いつしか、寺の経済的存続自体もあやしくなるようなことになる。
どうも日本人と宗教施設との離間は、こうした社会構造に根があると思う。
江戸期までの宗教施設と今日ではあまりにも違いがありすぎる。

先日、これも尾道の街で
神社仏閣の経済問題、経営の立て直しを承っているという方の
お話しを聞く機会がありましたが、
そのような構造に立ち至っているのがニッポン宗教の現実だそうです。
なんでもそうした現状から建て直すには
国費や公費をどうやって引き出すかが肝心だそうで、
その作戦の数々をお聞きして、たいへん参考になった次第(笑)。
ある道筋にメドがたつと、
大部分は返済しなくてもいい公費が宗教側に流れ込んでくる。
キモは、自己資金努力なんだそうで、
そのためには「名物」とか、「由緒由来」の独特感演出が不可欠。
まぁ、地獄の沙汰もなんとやらを彷彿とさせてくれますね(笑)。

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