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厳島大鳥居in高速

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さて瀬戸内世界の旅、きのうはカミさんから言われていた
「錦帯橋」を見に、広島から本州最西端の「山口県」入りいたしました。
わたしは、大体全国を歩いていると思うのですが、
この山口県にはほとんど縁がなかったので、
この機会にぜひ足を伸ばしてみたかったのです。
で、高速に乗って走っていたら、ちょうど朝日の出る頃合いの時間に
「宮島」SAの近くに通りかかった。
その直前くらいから左手の瀬戸内の海と空がすばらしい輝きを見せてくれていた。
導かれるようにSAに停まると、たくさんのクルマでいっぱい。
車外に出てみると宮島、弥山、厳島神社が遙拝できる高台が展望台としてある。
そこにちょうど初日の出見物のようにひとびとが集まっている。
どうやら、ちょっと有名なスポットのようなんですね。
なんの前知識もなく、たまたま通りかかったワケですが、
実にグッドタイミングだった。
そういえば、ことしは初日の出、札幌に居て、見ることはできなかった。
元旦以降、札幌は大雪に見舞われているようなので、
家人に雪かきを任せっきりで申し訳ない気持ちながら、
こんなすばらしい「初日の出」をありがたく拝ませていただいた次第。
2日遅れてなのですが、まぁ天気のいい日の初めて見た日の出
という意味での「初日の出」ということで(笑)。

しかし、現代ニッポン、
なかなかにキッチュなスポットを作っているものです。
朝日は、このSAからは厳島の方角ではなく、
もうすこし広島側の島影から上がってきますが、
その反射光が、うつくしく弥山の島影に映えていく。
ニッポン人の「花鳥風月」は、北海道の自然と出会って拡大したと思うのですが
同時に、現代のエネルギー革命社会でのビッグバンも
こんなふうにわかりやすく実現もしているのだと気付きます。
これはこれで、新しい「日本三景」のありようではないかと
はるかに遙拝させていただきながら思いました。
しかしそれにしても、
瀬戸内世界というのは、つねにこうした海としまなみという
美しい背景装置が、ひとの暮らしを包んでくれている。
その自然風土が、日本人のなかに相当量の感覚世界を刷り込んでいると思う。
よく日本人には善悪感覚よりも、
「うつくしいか、そうでないか」のほうが人生観としても大きいと言われます。
大陸的、普遍的人類的な価値観としては、
思想とか、原理原則のようなものを尊重するのに対して
そういった部分が、ニッポンの特質であるのかも知れません。
それがある場合には、誤解を生んでしまう側面もあるワケですが、
そもそも自然崇拝的な多宗教性がこういった美しさとして、
イデオロギーや宗教とかの価値観以前に日本には存在する。
そんな気分を共有している民族性なのだと気付かされます。
でも、むしろこういうニッポン文化の方が世界言語化、普遍化するのではないか、
21世紀になって、どうもそんな気分もひそかに醸成されている気がする。
いかがでしょうか?

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