さてきのうは今回の旅のきっかけとなった「広島・新春神楽まつり」観劇。
このブログの読者の方は、わたしの神楽好きはご存知だと思いますが、
前回広島に来たときに神楽会場でチラシを渡されて
そこから今回の旅を思い立った次第なのです。
神楽観劇って、その魅力はなんだろうか?
まぁいろいろあると思うのですが、
ひとつには、神楽団という主体組織が各地域に根付いた存在であるということがあります。
神楽の舞台の合間に「各神楽団団長さんインタビュー」というのが恒例ですが、
そういう話を聞いていると、
「地域の消防団が、もともとの組織主体で・・・」というような話が聞かれる。
それぞれの地域で生活しているみなさんが、
こうした組織の会合を重ねるうちに、地域の神社などとつながり、
その祭礼などの演し物としての神楽を懇請されて、
「・・・んじゃまぁ、やっか! でも時間もないし、ヘタでも怒るなよ(笑)」
となっているようなのですね。
しかしそこは神さま側もなかなかにしたたか。
きっかけはそうであっても、神楽には摩訶不思議な魅力がある。
踊っているウチに陶酔感がハンパなく、病みつきになる。
今回の観劇でも、
「神楽にのめり込みすぎて、消防団をクビになりました」
っていう方もいて、会場で爆笑が起こっていました。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソン。で、みんな熱くなっていく。
そういういわば庶民民衆の息吹が伝わってくる部分がある。
しかも、そういう自然発生的な民俗文化芸能でありながら、
広島には、これを高めていく民衆的な基盤があると思われるのです。
どうも広島カープの応援感覚に近いものがあると思うのは、いかがか。
どの神楽団も、すでにことしの年間出演予定が50を超えているそうです。
週に1度ほどのペースになる計算で、まぁセミプロのレベル。
北海道や都市圏などで、こういう「地域力」のようなものを
たとえば新興住宅地域などで、神社などの存在とは無縁で作ろうとする
まことにムダな努力を税金を使って営々とやっているのですが、
文化への理解がまことに寒々しい。
逆に広島では、現代社会の無地域性の怒濤のような嵐を受け流し、
脈々と息づいている民衆力を見せつけられるような思いが募ってきます。
どうもわたしが神楽に惹かれている一番大きな魅力は
このあたりのことを垣間見ているからではないかと思っている次第。
きのう見させていただいた神楽では
伝統的な勧善懲悪的な内容ばかりではなく、
歌舞伎や能の演目にもなっている義経ものまであって、
歴史劇の奥行きが大きく広がってきている。
このような「地域性」が開花したような芸能文化が、
このまま、日本の一地方、広島・中国地方だけの地域限定的なものになるのか、
あるいは新たな日本全体の文化にまで高まっていくのか、
密かに、大注目させていただいているわけなのです。
ひょっとすると、無味乾燥な現代文化を食い破って
生き生きとした近未来の日本文化が育っていくかもしれないと期待している。
まぁ、なんですが、
いまのところ、中央、東京の現代文化からは大きな反応はない。
たしかにテレビ的な題材とは言いにくいのは事実。
・・・なんだけど・・・。しかし。
Posted on 1月 3rd, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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