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PC疲労とアナログ疲労

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けさ起きたらやや腰痛。
どうも腰の周辺が重い感じでして、
以前2度ほどやったギックリ腰の前兆に似た感じ。
ということで、用心のためにマッサージに行って参りました。

で、通常のマッサージをしてもらって
カラダからの声に耳を澄ませるようになっていくにつれて
これは、パソコン接触の時間が多いことから来る
眼精疲労〜肩こり〜腰痛であることがクリアに認識されてくる。
マッサージの整体師さんと話して、
「ここはどうですか」
「こっちのほうは?」
というような誘導尋問に身を任せて行くにつれて
「そうか、そうよ、そこそこ」
「う〜〜〜む、そうだよ、それそれ」
と、アナログ的に状況が把握できていくのですね。
こういうのはまことにわかりやすい。
で、パソコン接触の時間を計算していると自分でも驚く。
わたしの場合、よし、しょがない、パソコンを扱おう、と決めたのは、
大体、1993年ころであります。
その2〜3年前からワープロは仕事に利用するようになっていたので
まぁ、それほど敷居は高くはなかった。
世の中的にもWidows95が大騒ぎだったので、
こういうタイミングでパソコンをはじめた方は多いと思います。
で、インターネットが萌芽的に始まった時期でもあり、
こういうパソコンとの接触時間の拡大を受け入れていった。
それまでアナログで仕事をしてきて
それはそれで出来ていたことを、
パソコンを利用しながら再設計するようになってきたわけですが、
当初は、身体的にもどうなるんだろうかなぁと不安もあったのですが、
あのころから20年近く経過してきて
そういう顕著な現れ方というのは杞憂だったと結論づけていい。
最近はとくに老眼が進行していますが、
それも、加齢の影響がいちばん大きくて
パソコン利用が大きな負荷になったということは言えない。
ただ、やはり「疲労の質」は、似ていながら、やはり違いがある。
アナログ仕事時代には、
まぁこんな感じというあいまいさが許される部分があったけれど、
PC、デジタル時代になると、あいまいさのレベルが事細かくなったように思う。
こういう人間活動の変化は、
娘や息子たちの世代と自分を比較していると気付きますし、
たぶん、あとになって大きく社会的に研究されたり、
時代区分的に総括されたりしていくのだろうなと思います。
ひょっとすると、火を扱うようになったこととか、
食料が、農業によって生産獲得されるようになった人類的変化と
ある部分では比肩するような変化に位置づけられるかも知れない。

で、眼精疲労についても、
アナログとデジタルではどうも違いがあり、
たとえば運転するという人間動作は確実にアナログ的に疲労する部分があるけれど、
そのことはデジタル接触での眼精疲労に対しては
むしろ、癒やしに作用するのではないか、とか、
そういった直感的推論を持っております。
こんな「気付き」を得ると、今度は
そういうことを検索項目にして、だれか先人の思索はないかと
即座に調べたりすることも出来る。
こういうのは、やはりものすごい社会的変化ではありますね。
ふむふむ。

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