わたしは、今年度、北海道建設部からの委嘱をうけて
「北方型住宅」の来年度以降のかたちについての検討委員会に参加しています。
北方型住宅というのは、北海道で開拓の初期から取り組まれてきた
このきびしい積雪寒冷条件の北海道で
日本人として、どのような生活の器がふさわしいのかと問い続けてきた流れの
現在の到達地点であると言えると思います。
そこには大きく性能の要件が不可欠なテーマとして持続的に取り組まれてきた。
そして多くの実践的な工法開発が行われ、
その果実は、日本にフィードバックされていきつつある。
居室全室が、均一な室内環境でおおらかに包み込まれ、
冬の暮らしが、けっして暗く閉鎖的なものではなく、
アクティブな生活を実現するためのベースキャンプのような
そういった安心と、開放感を生み出している。
そのような志向性を持って取り組んできたことをきちんと宣言し、
この「生活資産」を、自覚的に文化としてさらに高めていくことが、
これからの大きな課題になって行くのだと思う。
考えてみると、
日本人にとって、住宅というものはぬぐいがたく生活文化と
一体のモノとして認識してきたのだと思う。
そういった住文化を感じさせる単語としては、
「数寄屋」や、「京町家」などといった言葉が親しまれ、尊厳ももっていたと思う。
しかし、数寄屋というものは、茶と抜けがたく一体の文化装置、
といった響きに近く、そういう住宅を差す単語は
「京町家」が、かろうじてその雰囲気を醸し出しているのではないか。
しかし、そこには一般名詞しか存在せず、
そこで成立したひとつながりのことばが、独特の光彩を放った、といえる。
ひるがえって、この北海道の地は、
明治以降、日本人のこころから深い愛情を注がれてきた。
たぶん、その地名イメージでいえば、
この愛着はながく存続して行くに違いなく、
さらにいえば、四季変化が明瞭で、美しい冬の景観を有している
アジア最高の暮らし良さ、自然の豊かさが感受できる地域として
発展するアジア世界有数の好感イメージを
得続けても行くだろうと推測できる。
そのように考えると、この地で生み出された高断熱高気密住宅は
日本人全体にとって、大きな未来へ向かっての資産であることはあきらか。
「北方型住宅」というものが、果たしてきた役割は
大きな意味で、こういったことがらの基盤を作ってきたと言うことだと思う。
多くの先人の叡智と苦闘に踏まえて
さらにそれを発展させていくことが、わたしたちの大きな使命だろう。
そんな責任の大きさを自覚しています。
Posted on 12月 23rd, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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