北海道の暮らしは、寒冷が生み出すコントラストの美の魅力を持っている。
冬を楽しむ、という概念はあまり持ちにくいけれど、
日本人でもっとも積極的にこのことを言う資格を持っているのは
やはり北海道の人間だろうと思います。
雪にはいろいろな色彩感があります。
日中、晴天のときには太陽光を反射して目を開けて直視できないほどの
ぎらぎらとしたホワイトアウトの強烈さも持っているし、
いわゆる「蛍雪」というようなあわい明るさを放ったりもする。
そのなかでもかなりいいのが、この写真のようなたそがれ時の青。
もちろん、ほかの雪国地域でもこのような光景はあるでしょうが、
高断熱高気密技術が進んで
この写真のような大胆な開口越しに、室内から
このような雪の色彩を楽しむというのは、北海道独特とも言える。
それも現代に至ってはじめて見返すことが可能になった光景のように思う。
こういう青の世界は、北海道で暮らしてきた人間にはなつかしい。
人生の喜怒哀楽の中に、そっと埋め込まれている背景として
こういった色彩感覚は、想起されるモノなのです。
そしてそれとの対比的なモノとして、ストーブの炎や人肌に似た
赤い色合いの光の世界が対峙するように対置される。
青い雪原の1本道をずっと通ってストーブからの煙を漂わせている一軒家に向かう
黄昏時の記憶というものが、イメージされるのです。
こういった心理のグラデーションは、北海道人の心性の中のどこかに
仕掛けられて行っているものなのではないかと思います。
青森の方たちと語らうときにも、同質性を感じることがあるような部分。
それが青森ではねぶた的な、あるいは棟方志功的な
質朴感に沈殿していく感じがあるけれど、
北海道では、雪質がドライなので、やや印象を異にする。
それが「北の国から」的なリリシズムに至るのか、
いやそうではなくもっと開放的ななにかに向かっていくのかは、
北海道での暮らしが、どのような未来形になっていくのかに懸かっている。
それにしても写真の下川町の家での
大開口と対峙する、薪ストーブ+パネルヒーターのタッグは
それだけでもおもしろさが伝わってきました。
こういう視覚的には寒さが襲ってくるような空間が
まったくそういうことを感じさせず、あたたかさに満ちているという意外感。
こういった室内環境に慣れていった人間の感性から
どんな可能性が紡ぎ出されるのか、興味が募りますね。
Posted on 12月 13th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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