小さいときに、繰り返して見ていた夢があります。
それは、ちょうど小学校時代でして、
そのクラスメートたちと開拓に従事して、その開拓地での暮らしを豊かにするように
なにくれとなく、工夫を巡らすというようなもの。
それは食料生産であったり、仕事をするということであったり、
北海道にはまだないものを生み出す、というようなことだったりした。
繰り返し、繰り返し、執拗にそういった夢を見続けていた。
後年、どうしてそんな夢を見続けていたのか、
考えてみても、自分自身には思い当たる節はない。
まだまだ「開拓期」の余韻が色濃い札幌の街の雰囲気が
そんな妄想を少年のこころに投影した、としか考えられない。
考えてみると、それは北海道開拓という民族的な大事業の気風が
独特の精神性を醸しだし、その空気感・雰囲気のようなものが
さまざまな事象の中に投影されていて
そのようなメッセージを感受性の強い少年の心に
ピンナップされ続けていたのだ、というように推論することが可能だと思い至る。
司馬遼太郎の「太閤記」だったか、
「国盗り物語」だったか、忘れてしまったけれど、
その冒頭で、愛知県・尾張地方の土地の特徴と、それが人情に投影する
その必然性を書いた文章に出会ったとき、
そのことが、親近感を持って感覚することが出来たのは
こういった体験を持っていたことに由来している。
いま、仕事の機会で全国あちこちに出掛ける機会があるけれど、
そのような「土地柄」というようなものに探求の目が向かう。
で、やはり、司馬さんも「北海道からどんな人間が生まれてくるか、
その土地柄というようなものは、どんな形になるのか、興味が深い」
というような文章を書いていた。
いま、住宅の仕事をしていて、
北海道が全国のどの地域とも違う、一番大きなポイントは
住宅の作られようだということを目的的に取材し続けている。
そんな視点から、なにかの見方が出てくることを、日々念願している。
それがきっと、北海道を生み出してくれた日本文化への
大きな「フィードバック」なのだと思っています。
さて、どうなんでしょうか?
<写真は、江戸期の仙台藩領地図>
Posted on 10月 7th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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