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前九年合戦・安倍氏終焉の地

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東北の歴史に強い興味を持つようになって
いちばん不可解だと思っていたので、
東北地元の人たちも、地元勢力の敗北後のことについて
その様子を伝えるよすがを持っていないことでした。
前九年後三年合戦というのは、その後の鎌倉幕府体制という
律令国家体制を関東という、「外部」から破壊させた
「土地私有体制〜封建制」への扉を開いた歴史事実だと思われるのですが、
その主役である、安倍氏の貞任〜さだとう〜が
源頼義に攻め滅ぼされた場所、「厨川の柵」で攻城戦が行われた場所が
まだ、歴史的には特定されていない。
安倍氏というのは、出自自体もまだ、不分明な存在であるのですが、
それにしても、奥州、東北にとっては
敗残したとはいえ、地域勢力が中央権力と戦った英雄。
中央政府側から「反乱者」の烙印を押されるのは仕方ないのですが、
地域には、一定のよすがが存在するのではないかと
期待もしていた次第です。
ただ、「炎立つ」の作者・高橋克彦さんの作品からも特定地域については
触れられてはいませんでした。
そんなことで気になっていたのですが、
きのう、盛岡で取材があったので、ついでに念願を果たしたいと
「安倍館町」という地名の場所を訪れたわけなのです。
やはり、現地に来てみれば、
その蓋然性は、十分に明確になってくる。
この写真は、「厨川神社」という社の様子であります。
で、この神社と谷を挟んで向かい側には「安倍神社」まであった。
この神社の後背は、高い土手になっていて、その下には川が流れている。
普通に考えれば、「厨川柵」というのは、地形的にも
ここであることが明らかではないかと思われます。
前面道路からも斜面を登ってこなければならないことから、
この場所は見晴らしのいい高台なのです。
ということで、遙かな昔を想起して厳かな気分にて参詣。
反乱者の烙印を押されたとはいえ、
かの時代に、勇壮に生きた安倍氏のことを胸に描く時間を過ごしておりました。

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