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日本と東アジア世界−1

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お盆なので、
ちょっと日常とは違う思考世界にアタマを置いてみたい。

いま、国際政治の中できわめて憂鬱な事態は、東アジア世界での
日中韓3カ国関係だと思います。
国際競技、サッカーの試合での剥き出しの憎悪感情のぶつけられようなど、
また戦後世界の中で経済交流も活発であるのに、
反日という、見たくないような無礼ぶりも頻発しているし、
為政者たちはそういった民族感情を操作しつつ利用もしていると感じられる。
日本人として、どうしてもへきえきさせられる。
日本人の多くが、できればこの地域とはあまり関わりたくないとも考えていると思います。
あらかじめ平和主義を宣言した憲法を持っている国であり、
自らそのような帝国主義的支配意欲を見せたことがない戦後日本国家に対して
あまりにも理不尽な感情のぶつけようだと思います。
戦争を放棄した憲法を持っている国に対して
その安心感から平然と一線を越えるような挑発や恫喝的外交を仕掛けていると思う。
そうした主張を日本は世界に対して発言し続ける必要はある。
ただ、自らの武装強化という道は、やはり取るべきではないのでしょう。

世界史の現段階は、ヨーロッパで始まった産業革命が
資本主義というかたちで世界を席巻し、
途中、共産主義思想という革命概念も生み出しつつ、
しかしその革命概念の方に先に破綻が来て、
「勝利した」資本主義がいわばグローバル資本主義として立ち現れ、
資本主義概念の拡張にともなって「新興国」世界を巻き込んだ
「世界市場」が生み出されつつある段階だと言えるでしょう。
そうだけれど、当然ながら歴史はその以前から存続してきていて、
「国際関係」は、その流れから自由ではあり得ない。

この資本主義の世界的拡張は
当初段階では植民地獲得競争として、「欧米列強」の相克というかたちとして現出した。
この「白人優位」の世界体制のなかに
140年ほど前に風穴を開けるように、アジア世界から欧米列強と対峙するという
はじめてのスタンスを獲得し得たのが日本だった。
明治維新によって、このような国際的位置を獲得し得た日本は、
世界の中で、唯一の有色人種による「帝国主義」として
世界政治の中で孤児のように存在し続けた。
なぜこのような帝国主義国家体制づくりが可能だったのかは、不思議とも言える。
欧米世界が日本という国に対して独特の見方を持つに至るのは、
このような不思議さが大きいのだろうと思う。
明治維新政府は、そうした体制を作るに際して
「日本」国家生成期の「天皇」という存在を最大限に利用して
その価値を、帝国主義戦争時代にフィットするように改変しつつ、
世界の中で新興の「帝国主義」として形成してきた。
そのときに日本国家形成期に夢見ていた「小中華国家」思想を大いに
再利用しただろうことは想像するにあまりある・・・。
というようなことはまた、じっくり考えてみるとして、そこから日本は
欧米列強による恫喝と戦争、剥き出しの帝国主義と対峙してきた。
第1次と第2次の世界大戦までの国際情勢というのは
基本的にそのような帝国主義戦争によって形成されたものであり、
その体制は、第2次世界大戦後も一貫して存続してきた。
基本的に第2次世界大戦の勝利国家による覇権が大前提の国際関係だと思います。
日本とドイツは、敗戦帝国主義として
「平和国家」としてしか、存続を許されない体制の中にいる。
そういう枠の中にいることが、
東アジア世界での最近の国際関係のなかに色濃く表れている。
長く植民地支配に苦しんできた中韓両国が経済的な成長を見せる中で
「戦勝国家」としての民族的主張を遠慮なくぶつけてきているという状況。
戦後冷戦構造の枠の中では
反共、中国封じ込めという共同戦線的な位置づけにあった韓国が、
その長い歴史的外交態度、
儒教体制宗主国としての中国への服従的対応に立ち戻りつつあって、
日本はそれがいやでいやでたまらなかった、
東アジア世界での歴史的外交関係の構図に
否応なく向き合わされているのだと思います。
・・・なかなか,難しい。

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