わたしが子どもだった50年前くらいには、
もっと街中でこういう季語に属するような「生活文化」が健在だった。
って、おいでありますね(笑)。
そんな話をしてもイマドキには困るでしょうね。
なんですが、久しぶりに「七夕飾り」というものを札幌で見た気がして
思わずiPhoneを構えていました。
そういえば、ということで、
七夕って、仙台とを往復するような暮らしになって、
札幌の側では、ほとんど話題にもならない現実を
再認識させられる次第であります。
仙台では、街中至るところに飾りが満艦飾になりますね。
ほかの東北の夏祭りに比べると、アクションが少なくて
どうなんだろうという声は多く聞かれるけれど、
それでも華やぎは半端ではない。
湘南・平塚も7月だけれど七夕飾りが名物で、
そこで飾られたものが仙台で使われるんだ、などという俗説もあるそうですが、
都市の規模からいっても、文化蓄積からいっても
やはり七夕といえば仙台であります。
ひるがえって札幌。
仙台と同様に、七夕を1月遅らせてもらっているのは、
日本民族としての北方圏への「日本文化」としての配慮だと思うのですが、
そのありがたさをまったく理解しなくなってきている。
わたしの父母の時代くらいまでは、このような
季節風物への慣習的文化が、暮らしの中で大きな部分を占めていた。
ひと月遅れさせてもらって、
「あぁ、北海道でも日本文化の仲間入りができているんだ」
というような民族としての一体感に浸ることが出来ていたように思う。
現代では、そのような慣習的文化が、すっかり廃れてしまっている。
かろうじて、この写真のように北海道神宮の門前で
おお、そういえば、こういう文化伝統があったよなぁ、と思い起こされるくらい。
米作を基本にした季節行事の催行というのが、
必要不可欠であった時代と、そうでなくなった時代と
単純にはそのようなことなのでしょうが、
やはりさみしいなぁと思わされますね。
Posted on 8月 4th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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