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江戸の爛熟文化、経済・政治

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先日のアメリカ人コレクター展覧会で見た浮世絵です。
遊郭でもスター的存在の女性を描いた、
江戸期の一種の「ブロマイド」的に流通していたものでしょう。
和服というのは、わたし、あんまり歴史を知らないのですが、
こんなようにはだけて、露出度の高い挑発的な着方を編み出したのは
たぶん、人間の本能的な部分からのものでしょう。
胸元や首筋、うなじを大きく露出させて、男性の興味を惹き付ける工夫ですが、
こういった嗜好性が、江戸のファッションのある部分も表したのだと思います。

江戸という消費都市が人口100万を超えるような規模で発展し、
そのなかで一種の大衆社会化状況が発生して
「宵越しの銭は持たない」というような消費礼賛の気風が生まれた。
もともと地生的な都市ではなく、計画都市として建設された江戸では
各地からの流入がその人口構成の基本にあって、
それまでのムラ社会を基本とした社会システム常識とは違う文化が勃興した。
定住性の薄い大都市なので、風俗産業も盛況を究めた。
こういった新興大都市社会の治安を維持していくという経験は、
それまでの日本の権力システムの中に知的経験値はなかったでしょうね。
とくに消費礼賛の気風については、
それをどう扱っていけばいいのか、結論がなかったに違いない。
歌舞伎が女性の出雲の阿国さんによって創始されたのに
江戸期には権力側から、女性を舞台に上げてはいけないというように
おふれが出されて、やむなく男性が女性を演ずるような倒錯文化も生み出した。
そのような文化の点ではそういう強硬路線も可能だったけれど、
やはり「消費礼賛」的な経済構造は扱いきれなかった。
というか、そもそも江戸幕府権力は国内的武力戦争の勝利者ではあっても、
本質的に、経済運営という難題を解決しうる権力ではなかった。
結果、農本主義的な教条主義路線・財政の破綻の修正策が
倹約令というようなかたちで繰り返されていた。
やはり経済の問題というのは、
それをコントロールするということはきわめて難しいのだと思いますね。
しかし今日では、そのことが一番大きな問題だと思います。
権力の交代が民意によって決まる民主主義になっているのですから、
こういう経済運営からの逃避は許されない。
けれど政治権力の争奪戦において、経済運営くらい論議の難しいものもない。
自民党は経済のことを一番訴求してきているけれど、
対する野党のなかに対案をもって対抗できそうな政党は見いだしにくい。
とくに民主党には、自民党との違いがまったく見えない。
そもそも自分たちの無力さを権力にいる間中、満天下にさらけ出し続けていた。
まだしも自民党の方が、意識的に経済問題と向き合おうという意志は感じる。
民主党の失敗を徹底的にあぶり出す上で、
経済問題での閉塞状況をクローズアップさせたのは,正解でしょうね。

しかし、成熟した現代世界での民主主義国家なのだから、
経済運営の方法論議を、国民にわかりやすく選択させるような政治側からの努力は
絶対に必要なのではないかと思っています。
宗教や教条主義はやめてもらって、現実的な経済問題についての
論議の基盤を構築していく必要がある。
あ、どうも写真と文章が乖離していますね、申し訳ありませんでした(笑)。

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