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土偶に込めた祈り

先日訪れた「是川遺跡」の国宝・合掌土偶。
縄文時代の土偶は、4体が国宝に指定されていますが、その1体。
その古さもさることながら、やはり国宝に指定されるには、
作品性の高さもきわめて重視されたに相違ありません。
是川遺跡を見て、縄文からの列島社会こそが
「日本」の民族性のなかのベースであることに疑いはなくなった。
中国は4000年の歴史と言うけれど、
やはりこの列島社会の歴史は、13000年というのが
抑えるべき歴史認識になるのではないかと思います。
弥生以降、大きく列島社会は変容していくけれど、
照葉樹林との精神的つながり、海産食物とのわたしたち民族の親和性など、
弥生とは直接関係がない、こういうベースの文化は
縄文の世が育んできたものに相違ないと思うのです。

石器時代から、縄文の世に移行するのは
照葉樹林の列島各地への広がりと、漁業文化の隆盛があったのでしょう。
やはり食物生産自体は過酷であったことは事実とは言え、
たとえば北海道白滝村産の「黒曜石」が、
生活の基本を支える「ナイフ」の道具として広く列島各地に広がり、
秋田県産の「天然アスファルト」が、土器補修の接着剤として
これも日本各地に伝播するなど、
社会的分業と,交易の活動も活発に展開していた。
そして、この土偶に示されるように
その生産技量レベルは、個人的な「才能」まで感じさせる芸術レベルに
至っているのではないかと思います。
土偶自体は、ある社会的な重要な使命を担っているものとされています。
土偶がほとんど女性を表現していること。
その出土状況が一部が欠損した状態で出土すること、などから
どうやら、縄文の社会システムがもっとも必要とした生産力〜人間の誕生に
深く関わった儀礼的祈りの象徴だったのではないでしょうか。

先日、東大の前真之先生のお話を聞いていて
論旨は人類とエネルギーということだったのですが、
西洋においては、ある段階まで「奴隷」が最大の社会エネルギー源だった、
というお話を展開されていました。
言われてみて,確かに気付かされたのですが、
縄文の世でもこのことは変わりがない。
ただし縄文には奴隷の概念はなく、フラットな平等性を持っていたとされます。
社会が必要とする主要なエネルギー源は、生まれてくる人間だった。
そのことに人間として、
崇高な価値観を見いだし、深い祈りを捧げていたのではないか。
よく言われているそうですが、
この合掌土偶には、合わせている指の数が左右各6本あるのだそうです。
そしてその土偶が、出産と関連してわざと壊されて、
その一部が欠けて、ある祈りが成就するのだとすれば、
各5本の指を持った人間としてこの世に出てくる出産こそが目的だったというのが
ごく自然な解釈ではないのかと、
土偶の社会システムとしての必要性は了解されるのではないでしょうか。
この合掌土偶をマジマジと見ていて、
そういった想念に支配され続けておりました。
まぁ、素人の考古・歴史好きの妄想ではありますが・・・。

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