わたしは、住宅を見て回るのが仕事のようなものなので
たくさんの住宅、年間で100軒は見ていると思います。
住宅会社、あるいは建築家の人って、
案外自社以外、他者で建てられた住宅って、見ることは少ない。
お互いになんとなく遠慮がちなので、そう簡単に他業者の住宅を見ることはしない。
まぁそういう意味では雑誌発行者の特権のようなものだと思っています。
で、北海道の住宅は基本的な地域的な専門フィールドなので、
ほぼ慣れた目線で見ている。
そのときに強く思い続けていたのが、
とくに北海道の住宅って、家の外との関係性に気遣っている住宅が多い、ということ。
外部から入ってくる感覚情報を活かす家づくりが自然に行われている。
はじめて本州以南に行って住宅を見始めたとき、
とくに建築家が関与しているような住宅においてすら、
なにか、名状しがたい考え方の違いを感じていた。
それは、日増しに高まっていって、
きちんと考えなければならないと思い至ったころ、
ふと、この「外部との関係性」というものへの作り手の意識の違いというのが、
大きく心に迫ってきた。
そうなのです。
北海道で建てられる住宅は、その明瞭な四季変化に対して能動的に、
積極的に対応しようという姿勢に満ちている。
一方、本州以南、一番感じるのは首都圏地域だけれど、
そういった地域では、外部というものに対して鈍感な、
むしろ、ひたすら内部に向かっていくような志向性への純化を感じさせられた。
そのこと自体は、外部環境の結果ということであって、理解は出来る。
しかし、内向的な志向によって作られている住宅では、
「作っていく強いモチベーション」というものは、残念ながら共感できない。
「外部との関係性」というものへのこだわり、
その精神性的な根拠は、やはり民族的な感受性である
「花鳥風月」に依拠していると強く感じられます。
で、その花鳥風月の現代日本人的発露は、
もっとも民族が新しく獲得した自然環境、
北海道的な四季変化において、一番感受されているのではないかと
そんなふうに思い至ったのです。
芸術の世界で言えば、日本画家の後藤純男さんが、
北海道の自然を多く「花鳥風月」の視線で描き続けている。
そのことに強い支持がありつづけている、ということが象徴的だと思っています。
日本人のものづくりにおいて特殊な地位を占めている
住宅づくりにおいて、どうもこのことは明瞭なのだと思われます。
高断熱高気密の空間を得たことによって、
むしろ、外部世界への新しい感受性が生まれ出て、
激しい「地吹雪・ブリザード」すら「花鳥風月」に取り込まれた、と感じるのです。
そんな感覚がわたしにはあるのですが、
ちょっとそうしたことを書いたら、
「花鳥風月というのは、きわめて「日本」的なもので、
北海道には常識として似合わないのですが・・・」
っていうようなことを、ごく身近なひとたちから指摘されたりもしました(笑)。
そういう「常識的な理解」に異議申し立てをするというのは
どうもまだ、あんまり理解はされないのかも知れません。
<写真は、大雨の後の札幌の自然の様子。まるで大和絵の構図と感じました。>
Posted on 9月 13th, 2012 by replanmin
Filed under: 住宅取材&ウラ話