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アイヌ社会での鍛冶職人

写真は、先日行ってきた「旭川市博物館」での展示ジオラマ。
アイヌの歴史への洞察の鋭さが表れているものです。
アイヌの住宅遺構を発掘していくと、
さまざまな状況への洞察力が働くようで、
この鍛冶職人は、春から夏の期間、この上川地方にやってきて
鍛冶仕事を行っていることが解明されてくるのだそうです。
鍛冶というのは、鉄製品の補修が主な仕事と考えられ、
アイヌ社会での鉄製品を、どういう人物が請け負っていたのか。
この季節滞在の事実は、和人の出稼ぎであったのかも知れませんね。
和人社会、日本と、北海道島の住民とのあいだの交易史は
まだまだ詳らかにはなっていないのですが、
こういうジオラマの表現力はすばらしい。
よく見てみると、空気をポンプのように熱を加えた鉄に吹き付けている。
熱を高めて、鉄を造作しやすいようにしているのでしょう。
扱っていた鉄製品はどんなものだったのか、
一番特徴的なのは、たぶん、鉄鍋だったのではないかと思います。
檫文時代から、アイヌ時代に移行する変化で
一番大きいのは、台所の革命だったように思います。
それまでの土器による調理で、かまどが必需だったのに対して
アイヌ期では、鉄鍋と自在鉤が普及して
面倒なかまど装置が作られない。
そういう変化が、竪穴から平地式住居に変化させていった。
どうもわたしには、そのように思われてなりません。

ともあれ、アイヌ社会では農耕も活発だったので、
鉄製品は旺盛に使用されていた。
そういう暮らしの利器を、こういった鍛冶職人さんたちが支えていたのでしょう。
いまにも、会話が聞こえてきそうなジオラマでした。

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