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【海の京町家「伊根」の今昔写真】


さて連休の谷間ですが、ほぼ一晩中作業を行っていて、
ようやく午後2時になって、一段落付いた。
ということで、ブログ記事もまったく構想する時間がありませんでした。
なので、本日はやや骨休め、連休谷間篇であります。

写真は以前に感動して取材記事をアップした「伊根」の古写真。
明治後期ということだそうであります。
天橋立にもほど近く、丹後国の国府も近くにあったとされる。
歴史年代を通して、京都との関係が深かったのか、
歴世、地侍層が割拠するような国柄だったとされて
織田家の版図拡大のために丹波と丹後の攻略に当たった
明智光秀・細川藤孝連合は相当に手を焼いていたとされる。
ただ、信長もこのあたりの支配しにくさは理解していたようで
なんとか支配を確立した光秀を激賞していたという説がある。
この伊根の様子は、各戸が水運と直結する家構えなので、
元来、自由に移動を本然とする人々が想像できる。
そういった人たちであってなお、京都の文化も波及している地域とすれば、
強権的支配には服したくない自由民というような印象も持つ。
さて、どういう歴史をこの地の人々は刻んできたのか、
海の京町家というものがどういうものだったか、探究心をくすぐられる。
瀬戸内海とも通じる、あるいは村上水軍的な姿も思い浮かぶ。

ということですが、やはり本日は疲れが溜まっているので、
またの機会に探究は繰り延べ。
明日以降、しっかり書き続けるので、きょうはここまで。

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