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東京街角の古家外壁

写真は、東京都内23区内で実見した木造住宅の様子。
2階建ての木造住宅で、どうもまだ、住んでいるようなのですが、
やや見上げで、2階の壁面を見た様子です。
壁面がところどころ、外装の木材が欠け落ちて
下地の木舞(こまい)と、土塗り壁が露出しており、
さらに一部には、応急処置と思える紙での補修も見えておりました。
左側の壁面はたぶん、太陽光に照らされることの多い面と思われ、
右側面と比較して、外装木材の落剥ぶりが、より顕著であり、
木材で補修したり、鉄板とおぼしき材料で覆ったりもしている。
まぁ、最後は紙での補修に至っているようです。
外装の木材は、左側面では、ほぼ全面的に落剥しているとも言えるでしょう。
ほんの一部が、申し訳程度に残っているという状態。
こういった状態では、室内には風が入ってくるのは
防ぎようがなく、
横殴りに降ってくる雨にも、対応しようがなく、
下地木組みに付けられていただろう土壁は
雨水とともに、流れ落ちていっていることが容易に推測できる。
まぁ、すごい状態だなぁと思わざるを得ませんでしたが、
逆に言うと、こういう状態でもまだ、住んでいられるということにも
深く驚かざるを得ませんでした。

つい先日土曜日に、北海道札幌でのリフォーム、
それも「北海道R住宅」での根本的住宅再生の現場公開も見たのですが、
そこで、全国を見て歩いているという工務店の経営者の方とお話しでき、
「いやぁ、北海道はリフォーム事業の可能性は高いと思います」
「そうでしょうかねぇ?」
「北海道では、気候が厳しいから家への関心がきわめて高い。
それ以外の地域では、驚くほどに関心が低い」
っていうような「市場観察」を聞いたのです。
そういう言葉の実態をまざまざと見たような思いが致しました。
国交省では、近々、街に点在する「現状不適格住宅建築」を解体することに
補助金を出そうという計画があると聞いています。
たしかに、そういった政策の現実的根拠はこういう実態なのでしょう。
こういう物件は、住んでいる方が建築を維持していくことが
すでに非常に難しい、ということを表現しており、
社会的なルールや、安全を保持していくこと自体、
個人責任ではなく、社会的な問題として取り組まざるを得ない、
ということだと思います。
しかしまぁ、こういう状態でも住んでいられるというのは、
ある意味で、そういう地域であるということも表現しており、
「住宅性能」ということが、理解されにくい実態も端的に表している。
ものにはすべて、機能性の限界というものがあり、
その後は朽ちていく、というプロセスが始まっていく。
そのプロセスに、しかし日本人はある、愛情を持っている。
そういう自然観を否定できないだろうと思います。
こういった建物も同様であり、
最低限の、人間生存のレベルでは「雨露をしのいで」いるのでしょうか。
そういう「古びていく」ことに愛惜を持って生きる、
ということも、あっておかしくはない。
そういう個人的感受性の世界は、否定しようがないかも知れない。

まぁ、いろいろな思念が頭のなかを
よぎってきた街角の風景でありました。

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