現代世界では人間はふつう、企業人として生きている。
資本主義という人類的な叡智が結集した社会であり、
民主主義という基本的な価値感で運営統御されている。
そのことは、人類生存のための自然な社会進化の結果だと思います。
人間が生きていくためには経済活動は欠かせない。
食べていかなければ生きていけない。
その基本を構成しているのが、資本主義であり、経済活動。
多くの人が人生の大部分で経済活動は「企業」を基盤にして生きていく。
しかし、人生というのは1回きりしか許されていない。
であれば、人間は本来いろいろな「生き方選択」があってもいい。
現代人は就職という段階で、学歴とか技能・希望その他の条件で
いわばお仕着せのようなカタチで職業も選択することが優勢。
しかし自分が本来なにをしたいのか、やがて時間とともに見出すことが多い。
そういう「ずっとこのことを続けていきたい」と思えることがらは大切。
そういう風に見出したことは、たぶん淡々と続けられるものでしょう。
日本は世界でも未曾有の「高齢化社会」が実現している。
いわば「セカンドライフ」が、現実になってきてもいると思う。
わたしの場合、きのうのブログでも書いたが歴史とか民俗とかの探究が
どんなことよりも楽しいと思える。いつも新鮮な発見感を得られる。
歴史・民俗探究は別に専門的学究にしか本質を見出せないものではない。
たとえば現代という時代を今われわれは生きているけれど、
この時代の受け止め方には、それこそ人の数だけの理解があり得る。
過去においても、間違いなくそうであった。
だから歴史探究とは多様な生きざま、価値感を「掘り起こす」ことだと思う。
たまたま住宅という領域で生きてきたことで、
歴史を見る視点にも、住宅というモノサシで見ることが近しい。
そういうモノサシはたぶん人それぞれで違いがあると思う。
こういうフィールドで、過去の人々とも「対話」を仕掛け、
確からしいなにごとかを確認できたときは、やはり非常にうれしい。
住関連空間探訪から先人の生きざまが「伝わってくる」瞬間がある。
習い性となったのかどうか、今となってはよくわからないけれど、
探究する心はずっと長く持ち続け、きっと死ぬまで続けられると思っている。
高齢化社会の実現は、人生の価値感も多様化させていると思う。
Posted on 8月 19th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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