過密で利便性を最大追求してきた日本の「機能性」首都・東京。
東京都内で「戸建て住宅」を建てるということは、
いまや市井の人間には相当に縁遠い世界になって来つつある。
投資必要金額をいろいろヒアリング取材しているとただただ感嘆する。
そういう家づくりの中で、日本人の心性と現代資本主義的「効率性」は
いったいどう折り合っているのか。いないのか。
いろいろな住宅のありようを取材する中で掘り起こしてみたかった。
いくらかの住宅取材体験はあるのだけれど、
またそういった機会があることを多いに期待していた。
いまはウィルス災禍が落ち着き平常が再起することを祈るのみ。
そうは言っても、わたしには東京生活経験もある。
また、その後の出張時などでもテーマは涵養し続けてきた。
写真は新型コロナ禍直前の東京出張時、ふと気になった住宅街ワンショット。
人間居住の条件選択にはたくさんの「好み」があり得るだろう。
また、ON-OFFで切り替えて好み生活を取得できるのであれば
本来の「好み」と違ってもそれを得るための経済拠点として受忍範囲もある。
ホントは自然に囲まれた山暮らしが好きだけれど
会社の仕事もあるから、そこそこの日常拠点はそれとして受け入れて
休日になると、そのような自然に没入するような暮らし方もある。
むしろ、そういったON-OFFの「自由度」は
さまざまな利便性の進化で満足できているものなのかも知れない。
むしろ自然アクセスの利便性もまた東京は最高なのかも。
ただ、どうしても「これだけは」というかけがえの無さが
「伝わってくる」住宅、暮らしようというものはある。
この家の外観を見ていて、あるインスピレーションを感じた。
わたしは樹種に詳しくはないけれどたぶんケヤキっぽい巨木。
この巨木はたぶん庭木という存在価値を超えてランドマーク化している。
北海道での住宅のありようは高断熱高気密という
絶対条件的な部分に着目されやすいけれど、
やはりもっとも大きいのは豊かに残る「自然との関係性」の部分。
札幌のようなリトルトーキョー志向の街でも、
やはり冬には6mを越えるような積雪があって
その自然環境は大きな四季変化「波動」を見せてくれる。
街はその積雪を受忍する中で、公共的除排雪の利便性を考えて
セットバック空間は日本の他の都市とは比較にならない広大さを誇る。
なので、家の開口部から取得できる「景観」は
「空間の抜け」「句読点」要素がきわめて大きいと思う。
どんなに狭小な住宅地道路でも日本の他地域とは隔絶した幅、距離感を持つ。
最近の言葉で言えば「ソーシャルディスタンス」
相互の距離感というものの「常識レベル」が北海道は大きく違う。
一方で、その距離感がもっとも小さい東京で
その条件下で距離感を最大化させうるのはどんなものか、
というような探索興味分野も存在する。
たぶん北海道の暮らしようと東京の暮らしようを比較対照し、
そのようなベクトルから取材テーマを常に掘り起こすということには、
自分自身でも、強い好奇心を持っている次第です。
Posted on 4月 5th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 「都市の快適」研究, 住宅マーケティング
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