絵図は幕政期の北海道でのアイヌの石狩川での丸木舟交通。
きのうまで飛騨からの材木伐りだしの絵図世界に籠もっておりましたが、
ようやく北海道に復帰いたしました(笑)。
なんですが、江戸期での都市江戸・大坂の「市場経済・貨幣経済」進展と
地方での「自給自足・村落共同体社会」との並立状況に気付いた。
公的な社会運営として貨幣ではなく米穀が基本だった社会。
しかし時代の趨勢としては貨幣経済に大きく変換していくあつれき。
そういうものに気付かされた次第であります。
そして今日われわれが生きている社会も、貨幣経済が完全浸透した社会であり、
さらにはその貨幣もひょっとして変化していく可能性がある歴史時点。
ひるがえって、北海道島でもアイヌ社会と日本社会は「交易」で
ながく結びついていたとされる。なによりアイヌは交易民であった。
また北海道島南部に盤踞した松前藩も、この「交易」に依存した存在。
時折、北海道島内の遺跡から大きな壷が発見されることがあり、
そのなかに貯蔵されていた大量の「貨幣」が発見されることがある。
江戸のような消費経済都市では、都市民自らは食料生産に
ほとんど関与せず、必要な食料はすべて貨幣と交換して得ていた。
幕府体制下ではこういった価値観の差異は、権力側の調整で
なんとか秩序維持できていただろうけれど、
ほぼ未開であった蝦夷地では、ほとんど機能していなかっただろう。
交易とは基本的に物々交換だっただろう。
貨幣を対価としてもらっても、後生大事に床下の穴に貯蔵するくらいしかなかった。
物々交換にしても、交換価値の妥当性には難点が多かっただろう。
サハリンでも原住民と中国社会とが交易してきたけれど、
徐々に原住民社会が「借金漬け」にされていった、という記録があった。
国家が成立して流通を担保する貨幣を機能させていた社会と
民族形成としても微妙な社会との間では共通価値観は形成し得なかった。
価値の等価性の確保というのは、そこにビジネス的思惑も持ち込まれれば、
非常に難しいテーマになるのでしょうね。
先日、飛騨の山から木を切り出す1村の年間収入が1000万円相当だったと
書きましたが、同じ時期に江戸では「歌舞伎役者」トップスターは
年収1億を超えていたということなのですね。
そもそもこういうことを考えれば、価値の等価性などというのは
ハナから成立するわけがないと思い至る。
市場経済がやがてこうした不均衡を是正するのだとされてきたけれど、
それもまた、見果てぬ夢のように思われる。
まぁビジネスというのは、多かれ少なかれ、
こういう価値の不均衡の間で、利益を目指す行為と言えるのでしょうね。
モノの流通、歴史経緯を見ていていろいろ気付かされる次第です。
Posted on 1月 26th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
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