きのう「過去地形」について触れたら、
さまざまな反響、ご意見をいただきました。
たいへん貴重な声をいただき、感謝の念に堪えません。
わたしの家系は祖父は広島県福山市近郊生まれで北海道に移住し、父も彼の地で
生まれましたが、わたしは北海道生まれのネイティブ北海道人。
まぁ3代で江戸っ子という言葉を聞くことがありますが、
「蝦夷っこ」という言葉はあんまり聞いたことがない(笑)。
でもそろそろこの地に深い愛情を持って来し方行く末をと考える世代。
しかし、なかなか過去歴史の少なさに心許なさも感じている(泣)。
それでも考古的な発見とか探究が進められていて大いに勇気づけられます。
そういった学究にも知人がおります。
上の図はそうした学究の一人である右代啓視氏が関わった北海道博物館の展示。
<ブログ過去記事【北海道の「過去地形」を見る】を参照ください>
約21万年前の北海道島の地形図であります。
きれいに石狩低地帯が海沈していて、太平洋と日本海がつながっている。
その後、この海が陸地化してきたことが視覚化されている。
こういった探究もさまざまな知見を総合する作業なのだと思います。
だいたい現生人類も出現したかどうか、という時代のことがら。
現代の知見、文字記録などはもちろんまったくないけれど
それでも考古的には探究の方法はあるのですね。ファイトは湧く。
しかし一方、下の図は大阪の歴史地形であります。
こちらの方は、21万年というような考古の年代とはまったく違う。
左側が5000年前くらいにあったとされる「縄文海進」での地形。
そして右側が2005年段階の衛星俯瞰地形図であります。
で、さすがに人口密集地域なのでこの間の地形の変遷も
公的な研究業績の蓄積で確認できるのだそうです。うらやましい(笑)。
上町台地といわれる固い地盤層に
大阪城とか、難波宮とか、四天王寺、仁徳天皇陵など
歴史年代きわめて重要な建築群がならんでいたとされています。
縄文海進時点図の北に向かって突出するような地形地がそれにあたると。
北海道とは違って、人口集積がハンパなくしかも歴史蓄積が
文字記録もふくめてメッチャすごい。
人間の事跡痕跡蓄積の多さに、まさに目眩するほどであります。
ひるがえって、蝦夷地の手掛かりの少なさよ(泣)。
この両方の地域について、住宅に関する仕事をしているので、
地形とか地盤とか、土壌・風土とかを考える上でまことに対照的。
行きつ戻りつしながら、相互に気付きを持てればオモシロいかも。
そんな興味がどんどん深まってきております。ふーむ。
Posted on 9月 19th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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