ユニットバスという設備は
開発の最初の頃は、狭小なホテルの部屋などの用途として
関東地域などで販売が開始されたようですね。
Wikipediaで見てみると、
現在につながるFRP製のユニットバスは、日本で開発された。1964年、東京オリンピックを控え、急ピッチで建設が進められていたホテルニューオータニで、内装工事を出来る限り省力化するために考案された[1][2]。主に開発に携わったのは日立化成工業(現:ハウステック)・東洋陶器(現:TOTO)の2社である。それまではバス・トイレの施工は1部屋につき職人数人と1ヶ月を要していたものが、運び込んで設置するだけで良いユニットバスを採用したことでわずか数時間に短縮されたという。
というように記載されています。
しかし、このユニットバスが一般木造住宅に導入されたのは
北海道が大変早かったと記憶しています。
それは、冬期間、銭湯に通うのが大変だったからなのか、
家の断熱気密性能が高まって、
家で風呂に入るという習慣が可能になったからなのか、
まぁいろいろなことが考えられるのですが、
とにかく、普及速度は速かったと思います。
欧米人と違って、っていうか、
日本人と他の国の人間を明確に分ける基準があるとすると、
一番大きなポイントは、入浴の習慣でしょう。
肩までしっかり浸かって入り、しかも
カラダを洗うのは浴槽外で、という
大量の湯と同時に、暖気も必要になる風呂習慣ですね。
この浴槽は、明治の初年建築の北海道余市の漁家住宅のもの。
家人専用のお風呂であります。
雇用者たちは、この家で過ごすのは春から秋までなので、
沐浴は、家の外の水場で行っていたといわれています。
薪を大量に消費して、湯を温めるというのは
たいへん豪勢なことで、貧富の格差が明確だったのですね。
薪を燃やすストーブ部分が鉄で覆われて
その熱がこちら側の木製水槽に伝えられ、
湯が沸く、という仕掛けになっています。
家の断熱もまったく顧慮されていない時代、
こういう風呂に入るというのは、気合いのいる行為ですね。
冬期間は、漁とかはないわけで、
日中でも忙しいわけではないでしょうから、
天気のいい日の昼間をめがけて
入浴したものかも知れません。
内地での夏場の暮らしのように、日中の汗を夜に流す、
っていうような生活習慣ではなかった可能性が高い。
いろいろに想像力が膨らんでくる思いがします。
北のくらしデザインセンター
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Posted on 7月 19th, 2010 by replanmin
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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