北海道とそのほかのどこかを往復する日々。
そういうなかでもやはり東北の機会が圧倒的に多い。
飛行機の時間などでちょっとした隙間時間ができたら、
高齢者としての自然な成り行きから神社仏閣の空間が恋しくなる。
札幌にいるときには家から遠くないこともあって、
「蝦夷国新一の宮」として、ブログによく書く北海道神宮に毎朝参詣しています。
そういう近場の「一の宮」が仙台にはない。
国府がながく置かれていた「多賀城」に隣接する港湾である
塩釜にある鹽竈神社が陸奧国一の宮とされていますが、
いやそうではなく福島県棚倉町という南端にある都々古別神社(つつこわけじんじゃ)が
本来の一の宮であるともされています。
古代国家の範囲が白河の関をもって国境と考えて
その国境線がどんどん「征夷」の結果、北上していったので
やがて塩釜がその位置に据えられていったということなのでしょう。
いずれにせよ、仙台からは遠いし縁も薄く感じる。
仙台ではその仮想的な「一の宮」として大崎八幡さんが位置しているのか。
伊達家は仙台城下町を開発しこちらの武神を総鎮守にしたとされる。
東北ではどうもこういう社格についての階層感が薄い。
まぁ北海道神宮の圧倒的な地域一の宮性のほうが珍しいのでしょうか。
ということで、いつも参詣先を迷うことが多いのです。
なんですが、どこ行こうかなと考えたら、
ちょっとした時間のあるときには、この金蛇水神社に縁を感じる。
名前が「かなへびすい」と呼ぶのですね。
どうして最後だけが音読みになるのか、不明。
社格としては「無格社」ということで縁起を見ても有名人はいない。
天皇から刀制作を受注した鍛冶さんがここの水の清らかなるをみて
感動してここに参籠して刀を仕上げたとされる。
ゲロゲロとカエルたちがうるさかったので、ヘビの置物を作ったら
ピタリと鳴き止んだとされて、金とヘビ、そして水の3字が縁起となり
そのまま神社名になったとされているのです。
まぁ、民間信仰、現世利益そのものが発現したように思う。
商売繁盛、金運向上などのそのものズバリの験掛けに最適。
「タマに行くならこんな神社」(笑)っていう宗旨とでもいえる。
季節はちょうど梅雨入りなので、いかにも水に縁のある風情。
さて御利益やいかに(笑)。
Posted on 6月 10th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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