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【メディアのきのう・きょう・あす】

さて長かった令和はじめの連休も今日まで。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
若くもないわたしども夫婦としては、あちこちの軽い遠出くらいで
ゆっくりと骨休め中心で過ごしておりました。
仕事のことは気には掛かるけれど、
しかしそれはそれと考えて、休息最優先でした。

わたしは最近はほとんど「新聞」を読むことがなくなった。
たまにホテルで手に取ったり、コンビニなどで夕刊紙やスポーツ紙を
購入することもたまにはあるけれど、
いわゆる日刊紙を購入したりすることはなくなった。
たぶんインターネットポータル、わたしの場合はyahooトップページで
まとめサイト的に表示されるニュース程度で十分で、
それ以上の情報も、そこからのリンク先でのweb情報で十分になった。
物理的な印刷物としての新聞に、魅力がなくなってしまった。
このことはもちろん雑誌についてもいえることではあるのですが、
雑誌の場合には、ある専門性・嗜好性が強く存在するので、
より本来的な意味で「メディア性」があると思っています。
日刊総合新聞については、いったんその「習慣性」が消失すると
再度、惹き付けられる魅力というものが乏しい。
webに置き換わった、というよりも「情報」というものの即時性が
紙の新聞ではwebに太刀打ちできなくなったということ。
しかし令和の改元を伝える「号外」はその「記録性」で
多くの人から欲求された、ということは暗示的なのでしょう。
日々の「変化」を知るメディアとしての役割はいまは紙ではなくなった。
このことはやはり不可逆的な社会変化だと。
そういうことを深く分析して、メディアの今後を模索するしかないでしょうね。

しかし変化というのは、急激にやってくるのだということも
こうしたことでここまで思い知らされることになるとは、
正直に、生きている間にあるとは思えなかった(笑)。
大学を出て就職はマスコミ関係を志望していて、結果としては広告の仕事に
生きる方向を定めたのですが、
そういう人間として、メディアというものがこうなるとは、
まさかという思いがきわめて強い。
現状は変化の大波はだいぶ落ち着いてきたと思うけれど、
まだまだ、環境の大変化はあり得ると心得ておかねばならないでしょうね。
写真は仙台市博物館で目にしていた江戸期仙台市外中心地・芭蕉の辻の
「高札」の復元構造物。
江戸では「瓦版」などの新聞メディアの萌芽のようなものがあったけれど、
こういう藩の支配する地域では、上からのお達し情報が主体のようでしたが・・・。
伊達藩の「地方都市」では真実の政治情報流通などはどうだったか、
そういうことも知りたくなっておりました。
やはり人間社会の行く末は、過去・現在への深い洞察からしか
想像することもできないのだろうと思う次第。

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