視覚化しにくい環境要件のなかでも温湿度というのは、
皮膚感覚として人間の判断力、感受性がもっとも発揮される領域。
洞窟住居の太古から人類の基本欲求として、根源的に存在するテーマ。
そういうことがらに住宅建築が実践的な回答を出せる段階になってきている。
先週から東北と北海道・札幌を往復する日々に突入ですが、
いま、札幌にいると朝晩の外気温は10度を下回って一ケタ台にもなることがある。
そろそろ暖房必需期のはじまりであります。
築28年になるブロック建築のあんまり日射条件の良くない部位。
今の時期だと、日中になって日が昇ってくる前には20度前後になる。
で、夫婦とも60を超えたアラウンド「前期高齢者」居住。
そこでわたしとしては、そろそろ冬場のメイン暖房の「試運転」をしたくなって、
本日朝、この温度計で21度ほどだったので、スイッチを入れてみた。
毎年のことではありますが、しばらく機械を使わずにいると
大丈夫かな、とふと気になる瞬間があります。
しかし、まったく問題なく着火していました。
あ、わが家のメイン暖房は灯油の温水ボイラーで建物中に温水パイプが敷設されて
床暖房で加温させる方式であります。
東大・前真之准教授から揶揄されつづけていた「電気蓄熱暖房器」は
この灯油温水ボイラーの代わりにその役割を一部担っていましたが、
ことしの冬からはこちらを現役復帰させることにしているのです。
そういう「試運転」ということで、機器点検の意味合いも強い。
ただ、加齢に伴って体内発熱量が低下してきていることもあって、
冷気に対してややカラダはセンシティブになって来たと思われます。
下の写真はわたしのデスク上に置いてある温湿度計。
暖房試運転後、約1時間ほどが経過していますし、
日中になって日も差してきているので、24度近くまでなってきている。
大体わたし的にはこれくらいがこの時期の温湿度環境としては快適域。
あ、「快適」というコトバは不適切でしょうね、
気がついたら温度について「なにも感じなくなっている温湿度レベル」
というような言い方の方がリアリティがある。
これまでも、北方圏での住宅の環境要件として
繰り返し、このような指標による共通会話があったのですが、
暖房の場合には、そういった数値論議を超えて
生活者が「温度コントローラー」を手に持っているので、
そういった微妙なコントロール、各人別の「なにも感じなくなっている温湿度レベル」
を、自由に選択して感性的に暮らしてきたのだと思います。
ことし、温暖地・大阪で新住協総会が開かれ、
そこで蒸暑の真夏での室温湿度環境についての論議が交わされたのですが、
おおむね2台のエアコンを使って、どういう環境を薦めたらいいのか、
一つの考え方として床下設置の主に冬場の「暖房用」と考えているエアコンに
全館的な除湿目的で夏場でも「暖房運転」させた方が効率的、
というような意見まで出されていた。
「なにも感じなくなっている温湿度レベル」ということについて
あらためて問題提起がされて、北海道としてはやや鳩が豆鉄砲を食らった(笑)。
酷暑の夏場には温湿度は「29度50%」というような具体的数字もあらわされていた。
そんな経緯から、この冬場の温湿度環境について
北海道居住の立場からももう一度考え直してみたいなと思った次第。
実感的検証、ことしもあらためて取り組んでいきたいと思います。
Posted on 10月 21st, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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