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【総勢110名参加で「きた住まいる南幌」見学会】

きのうは既報のように全国からの北海道住宅「きた住まいる南幌」見学会。
わたしは早朝から、別日程だった吉野博・日本建築学会前会長のアテンド、
昼からのご一行との合流、説明会〜現場見学会〜懇親会、
そこからなおらい、延々と夜中1時過ぎまでいろいろなみなさんと
意見交換させていただきました。
途中、この様子を取材されていた地元テレビ局の人からも
マイクを向けられたりしていました(笑)。
地元Tvhさんの土曜日の経済情報番組とのことで、
わたしのしゃべった内容が放送されるかも知れませんね。

で、今回のこの住宅展示場企画は、
主導的には地域公共団体としての「北海道庁」がオルガナイザー。
その強いプッシュがあって、地域工務店がその趣旨に共鳴し、
経営的なリスクをある程度覚悟もして、取り組まれた事業であるということが、
北海道建設部住宅局建築指導課の方から趣旨説明で触れられていました。
そういう意味では「地域を挙げた」取り組みと言うことがいえるでしょう。
写真は、この趣旨説明冒頭のスライド部分です。
北海道地域はこと「住宅」という部分では日本社会では「先進地」とされます。
日本民族が本格的居住の歴史を持たなかった北辺に
なぜ集団的移住を試みたのかというのは、やはり地政学的な
北方ロシアの南下政策との対峙、生き残りをかけた国家戦略が基本だった。
弱肉強食の帝国主義時代の中で、次々と植民地化されていた
最後に遺されたアジア人種による国家としての独立を維持することが
そのまま、北海道開拓という事業への情熱になっていった。
日本社会の中での一地域としての北海道が、しかしある種の
ニッポン人の特殊な心情の対象になっていることの起点は、
やはりこういった事情が抜けがたくあると思います。
この地域を開拓し、固有の領土として世界に主張するに足る
それだけの実質を、短期間に確保しなければならなかった。
そういう「国家意志」が、日本民族の「移住促進」政策として結果した。

人が住み着いていくためには、住居が必要だった。
しかし今日に至っても、日本中央社会からこの地での安定的居住の
そのイレモノとしての住宅の、具体的に「いのちをつなぐ」手法は得られなかった。
やむなく地域総体としての北海道はその手法を手探りで探し続けてきた。
国家統治の一地方政府にしか過ぎないのに、特例的な住宅法まで創出し、
中央とはまったく独自にその手法開発を行ってきた。
手法として、官学民の住宅技術開発の連携体制が強く構築された。
住宅現場で起こっているあらゆる情報が、的確に情報共有される地域は
このような経緯によって実現されてきた。
もちろん国家中央政府には住宅を管轄する省があり、国家施策として
住宅政策も構築されているけれど、それとは相対的に独立的な住宅施策が
この北海道では連綿と行われ続けてきた。
今回の「きた住まいる南幌」も、こういった文脈の中の出来事なのですね。

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