日本各地からさくらの便りが聞かれるようになってきた。
わたしも再来週、4月アタマ関西や関東出張での道筋の観桜が楽しみ。
なんですが、北海道はまだ残雪が残る景色の中。
寒さと暖気が行ったり来たり、季節が揺れている。
21日には家族で札幌近郊の長沼へ。
ときどき食事に訪れる野菜中心の農園レストラン。
行ってみたら長蛇の列で大人気。
席が取れるまで1時間近くかかるということで、
にぎやかに談笑する母娘をクルマに残して道沿いを散歩。
わたしは生まれてから3才になるまで、
いまは岩見沢市になっている北海道・栗沢町の農家の子どもでした。
この長沼ともほど近く、農地が基本である地域景観。
わたしには幼少期の記憶というのは、ほぼまったくない。
ただ、「野焼き」の匂いに強烈な郷愁を持っている。
その野焼きですら、収穫期を終えて畑の残存物を、
翌年のために野焼きして肥料とするものか、
今に至るも、ほとんどその意味すらわかっていないけれど、
そういう「野の記憶」のようなものだけがうすぼんやりとある。
ただ、こういう風景の場所に来ると、やはりなにか胸騒ぎがある。
そういえば、休日に都市の喧噪空間にいることは基本的に嫌い、
というのは三つ子の魂の部分なのか。
で、散歩していたら、ぴよぴよというさえずりが聞こえてくる。
あんまり生物活動の痕跡は少ないなかに、
はるかな同族の生きている証がつたわってくる。
残雪は残っているけれど、そこそこ緑のスペースは広がってきて、
その野の鼓動のように、さえずりが響き渡ってくる。
3才までの幼年期、こんな光景の中を歩いていたかも知れない。
ひばりの声に、コトバのようなコミュニケーションがつたわってくる。
ふしぎだけれど、明瞭に感じてしまっていた。
はじめは身近な同族へのコミュニケーションで、やがて
道を歩いているはるかな同族にもわかるようにさえずっている(と感じた)。
どこか近しい友人の語らいのような音の旋律をそこに感じていた。
もう北国でも、らしい春がそこまで来ているのですね。
Posted on 3月 24th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 「都市の快適」研究
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