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【子どもが自然に「家らしい」と認めた外観】

先日、新住協北海道支部大会in函館でのひとこま。
いま新住協で取り組まれている「Q1.0住宅プロトタイプ」への道程解説で
鎌田先生から新住協で作ってきた住宅について
それが基本的にはプロトタイプへの志向性であると
写真で紹介されていましたが、そのなかのフレーズに心が強く刺激された。
それは、この写真を見せながらこのなかの一つの住宅が、
その建っている地域周辺の小学生たちに
校区内で「家らしいと思う家を投票して」という「コンテスト」をやった結果、
むしろ住宅性能・高断熱高気密をテーマとする住宅であるのに、
こうした住宅が選ばれ、地域の「都市景観賞」にもなったという事実です。
講演のなかのワンフレーズだったので、この写真のなかのどの家であるか、
やや正確ではありませんが、鎌田先生の講演趣旨では
この写真のような真壁で柱が外側に現れたような「伝統的デザイン」が
いわゆる「日本人的美感」に訴求するのでは、
といった趣旨のなかでの指摘だったと思います。

わたしたち民族の「後継者」である子どもたちは
DNA的連続性を持ち、そして感受性において未来的であることは自明。
民族の中の優れた部分はごく自然にかれらに受け継がれ
ながく民族の「資産」になっていくこともまた当然。
そういう認識に立って「家らしい」というかれらに与えられた命題を考えてみる。
いま子どもたちが住んでいる家の現状は必ずしも
このような家であるのが主流かと言えば、そうとはいえない。
むしろ推測すれば外観記憶を持ちにくいマンションが多数派。
それにいまの住宅は基本的に大壁志向が明らかであって、
構造材が外側に見えるというような家も少数。
だから、現実風景としてかれらが見続けている家並みとは乖離がある。
たとえば都市郊外中流を代表する「サザエさん家」などの
仮想現実も含めた深層心理などもそこには加わるのでしょう。
言ってみれば、日本人的デザインコードとして、
住宅というモノにはこういった潜在認識があるのだといえる。

住宅デザインと言うことを考えていくときに、
こういった巨視的な抽象化というような志向性も
もっと探究されていく必要性があると強く気付かされる。
新奇性への探究ももちろん人間の基本的希求だろうし、
そういうものがあってはじめて、発展進化もあるのだと思うけれど、
例えれば「保守と革新」の民族動向のあるべき割合をも感じさせられる。
この民族的デザインコードをどう保守し発展させていくべきかということも
さらに巨大で非常に重要なテーマだと思った次第です。

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