本文へジャンプ

【リフォーム直前 すっぴんのわが家】



こういう自分の家の「素顔」をふたたび見ることができるというのは、
めったにあることではありませんね。
長期にわたっての引っ越し準備、荷物の引き渡しが済んだ一瞬、
リフォーム工事が9時頃には始まるという寸前、
スタッフとともに「リフォーム前」写真撮影に臨んでいました。
1991年の新築以来、はじめてほとんどの家具内装などが消えた
ほぼすっぴんのわが家が束の間、その姿を見せてくれた。
時間を忘れるほどにたくさんのアングルが頭に浮かんでくる。
暮らしている時間分だけ、生活シーンの背景として
いろいろに見続けていた空間性が、まっすぐに全身をさらしている。
きのうも書いた「愛着」というコトバの実質が露わになる。
この空間がわたしと家族の日々を守ってくれていた。
そんなふうな情動が次々と浮かんできます。

この建物から子どもたちが離れ、夫婦ふたりしか住まなくなって、
ごく一部しか利用しなくなってから、やはりもったいないと思い続けていた。
建築後27年という時間が経過しているけれど、
ほとんど結露のようなことも極少で、換気もしっかり確保していたので
空気質性能的にも劣化はほとんど見られなかったし、
ブロック建築としての構造的安定性は申し分なかった。
「やっぱり長く使い続けていたい」
そんな思いが日ごとに強くなっていった。
そんなことが、今回のリフォームの機縁になった。
たぶん、この建物はしっかりとメンテナンスしていけば、
100年以上の長寿命建築として存続していくことが可能だと。
今回リフォームを設計していただいた丸田絢子さんからも、
「北海道遺産」というコトバをいただいた。
たしかにブロックの建築は、多くの北海道の先人たちがこの地に似合う
オリジナリティに満ちた建築工法として創造したもの。
そのことを意識的、目的的にレジェンドとして創造していくこと、
わたしたちには、そんな役割が与えられているように感じられた次第。
ものごとが長く存続していくということは、常にその時代と共生するように
「自己変革」が欠かせないのだと思う。
建築で言えば、やはり良好なメンテナンスと利用目的の自己革新。
家族だけのイレモノから、もっと汎用的な用途へのアジャストへ。
それに耐えられる建築がやがて長期的耐久性を実証してくれるのだと思う。
そういったことに、ささやかながら挑戦していきたい。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.